明日は長男のサッカーの試合がある日。

彼にとってはサッカーを始めて最初の、私にとっては息子をもって初めての。



子供の頃、小学校のスポーツ少年団で卓球をやっていた。
息子と同じく三年生の時から。

最初の試合は県内の小学校との親善試合だった。

私は走るのも遅く、スポーツ全般が苦手だった。
未だに鉄棒の逆上がりも出来ない。

卓球は自分なりに上手くなったつもりだったけど、その最初の試合であっさりと負けた。

ほとんど打ち返すことが出来なかった。

悔しくて試合中泣きそうになりながら、相手の女の子のサーブを待っていた。

半ば諦めて、でも次こそは打ち返せるかもって思いながら。



その試合が終わってから、私は今まで以上に練習に励むようになった。

嫌いなランニングや腹筋、スクワットも一生懸命やった。
たまにしか行かない、家族での外食もキャンセルした。

そのうちに、コーチとのラリーも長く続くようになり、練習が楽しくなった。



今にして思えば、自分が「成長」していることに喜びを感じた、最初の経験だったのだろう。

「出来ない自分」でいることに慣れていたけれど、「出来る自分」を目指し努力し、何かを達成したのだと思う。



その後も試合はあったはずだけど、あまり覚えていない。

多分、負けることが多かったと思うけど、練習に行くのはずっと好きだった。



明日の試合を終えた後、息子は何を思うのだろう。

願わくば…。


いや、何を感じても、その思いは彼のものだ。

母としては、人生で初めての試合を終えた労をねぎらって、夕飯に好きなものをたくさん作ってあげようっと!



幼い頃、そこで暮らしていた。

私の最初の記憶は、山形県の山の中。
四歳になったばかりの冬の日。
母に作ってもらったかまくらの中で、プリンカップにいれられたかっぱえびせんを食べた。
とても嬉しくて、おいしかった。

その頃に、母の実家の福島県で過ごした。山形と福島を行ったり来たりしていた。



祖父が亡くなって、父の実家がある富山県に戻ってからも、夏休みには必ず福島へ行った。

当時は、高速道路も整備されておらず、富山から福島までは8時間以上かかった。

途中、お餅が名物のレストランがあり、いつもずんだ餅を食べた。あまりの甘さに少し後悔しながら。
猪苗代湖。野口英世記念館。会津磐梯山。
ブドウや桃の畑を横目に見ながら、暗くなった道を走り、ようやくたどり着く。


「よく来たない、遠くから大変だったべぇ。早くこっちさあがりなぁ。」


叔母やいとこが玄関前で出迎えてくれる。一年ぶりに会うからちょっと照れくさい。


そして何日かを過ごすうちに、私もすっかり福島の言葉になる。

優しい、ゆっくりとした、相手を労るような話し方。
相づちを絶やさず、自分の意見も慎重に言葉を選びながら。

私はあの言葉を、今でもすぐに話し出すことが出来る。懐かしい、大好きな話し方。




多分、私の精神の基盤を作ってくれたであろう、山形と福島の土地。
気候風土や、そこでお世話になった人たちが、私の一部を育ててくれたのだと思う。
私にとって、大切な大切な場所。





福島県に生きる方たち。

もうこれ以上、負けないで頑張ってと言うのは、残酷なことでなのでしょうか。
たくさんの悲しみや苦しみから、守ってあげられなくてごめんなさい。

だけどどうか、諦めてしまわないでください。
最善とは言えないかもしれないけれど、希望の道が必ず見えて来る日を信じて。



こんなに遠くにいるけれど、私の故郷に生きる方たちが無事に生き抜いてくださることを、願って止みません。






ゴイサギ。

体長50センチぐらいあるかな?

薄いグレーの身体。

鳥である。



あんまり群れてなくて、大抵一羽でいる。

詳しく調べたことはないけれど、川の浅瀬がテリトリーらしく、冬でもいる。



彼は姿勢がいい。

たった一羽で、足をすっくと伸ばし、長い首も伸ばし、頭の上にピンと一握の羽根をなびかせて。

遠くを見つめて立っている。


どしゃ降りの雨でも。

冷たい雪をかぶっても。

じっと遠くを見て立っている。


きっと何かを待ってるんだろうな。

それは必ずやってくると、揺るぎない確信の下に。

慌てず、騒がず。



私も彼のようでありたい。


ゴイサギ。