神在祭と神社の祭の際起こる、左右双方回転体(御神体)の変化について。(霊感、体感、神磁気) | 神社だいすき

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神社の正殿から、御神体の方に体を向けたときにおいて体感可能な磁気を帯びた左右回転体(御神体)はお祭の時と神在祭期間において、異なった変化が生じる。上記以外の期間は、体感にて解る状態にまでなれば、御神体の中心(ほぼ正中)に立ったとき左右回転体バランスがとれ安定する。このバランス」が崩れるのが上記期間で、この変化により、神様がおられるのが解る。お祭の際は左右回転体の内左回転のみ神輿に乗られ、右回転体は本殿に留まる。それに対し、神在祭期間は左右双方の回転体が出雲に行かれるか若しくは、右回転体のみ行かれる。この現象は数年に渡り検証し、例外はなかったので、事実ではあると思ったがその理由について理解できなかった。ふと原点に戻り考えた。神輿とは神様がお乗りになられる乗り物。神輿に乗られ、お旅所または、町内、村内を巡られる。創成過程において右回転は、人々の思い、感情、願いを記録する(磁気記憶体)で有るならば神様の乗り物である神輿には乗らない。右回転体の渦が大きくなる過程において左回転の渦に写され左右のバランス保たれる。共鳴現象が起こっているかまでは解らない。次に神在祭期間においては右回転の渦は例外なくいかれる。右回転が人々の感情、願いを記録し、この記憶体に基ずき出雲で会議されるのではないでしょうか。左右回転体とも出雲に行かれる神様ではなく、右回転のみ行かれ、左回転は留まる神様が所謂出雲に行かれない神様と私は理解しております。私に残された課題は正殿方向ではなく、御神体を中心とする横(本殿側面)の左右回転体とお祭、神在祭、その他の関連性ですが、存在の確証が大嘗祭の所謂特異年でした。それまで体感が正常か確認が中心でしたので、道のりは険しいです。私は御神体が神輿に乗られ、右回転のみ本殿に残られている状態の参拝が大好きです。右回転のみ残った状態は所謂中心が無く本殿のどこに立っても右回りの体感です。右端の柱に立って柱に合わせた手をつけたままでなければくるくる回り、醜態をさらしかねないからです。千年以上蓄積された人々の思いを感じております。私がオススメしたいおは氏神様のお祭です。氏神様でなくても、もしお宮参り、七五三でお参りされた神社でもいいと思います。その時親が祈祷された思いが本殿に記憶され、ストレートに感じられるのでは。感じられなくても、その思いはあなたが親なら、同じ祈祷をした時と同じ感情です。過去に使ったご先祖様の感情に触れるのには一番いい時間ではないでしょうか。

私の記事は月参り程度の方が読んでも理解し難い内容です。その方々は市販のその類の本で十分。それらを読み、神様の存在を理解し、感情を整え参拝される。それが一番いいと思います。しかし、もっと踏み込んで理解したいと思うなら、それらの類の記事は足枷となりかねません。多くの記事全て真実を書くことは例は悪いが占いを例で言えば、100%当てる占い師(預言者)と同じ。真があっても1つでも虚があれば真の方向からずれる。本当の意味でそれを修正出来るのは自分しかない。真実が知りたいなら、常に自分自身を疑い、検証し修正していくクセが必要だとおもいます。