投稿されている神社に関する記事について以前から気になってしかたがない事があるのでかきます。それは神様が歓迎しているサインですといい投稿された記事です。サインですと言う記事あまりにも多く、その内容を見て、大体わかる。私は参拝すれば人間的に表現すれば実家に帰省して、はじめに挨拶した時の親の表情、感情のようなものと考え、無条件に歓迎されている存在です。月参りされている参拝者にはサインはオススメします。なぜなら歓迎されていると思う感情でお参りすることが本人も御神体にもよい結果を導くと考える。理由は長くなるので、違う機会に書きます。月参りされており歓迎のサインと喜んでいた方は、この先の記事は参考にならないとおもいますが、神様の世界は見えない世界です。奥が深く、この見える世界で、真実を知ろうとすれば、困難、限界があります。真実を知りたいと思うならばサインのことに触れるのは、根拠、検証性、確実性、確率性、連続性、各人が得ることが出来る共通性がない。空は見る季節に関しては例えば秋に関して言うと
秋の空と言われるぐらい変化激しいし、見る角度、見る人のイメ-ジ、偶然性がすごく大きい。虫は神社自然が多いので当たり前ですが、ただし、自然現象として
捉えられる見解は神社と切り離して研究結果を出されている方もおられます。、風も同様で例えば神社の構造上吹き抜けるように建てられた神社もあります。軋む(ラップ音)木造ですので、気温の変化しやすい時間帯には多くおこります。人がいないのに中で大きな音がした。人はいないが小動物が住みかにしています。サインの99.9%は無意味と考えております。祝詞を上げていた。偶然のことです。上げる曜日、季節変動があります。、祝詞を上げているときの参拝の効果については興味があるので、研究したいとおもっています。サインに触れると神々の真実を知るのに大きく遠回りしてしまう。もし共通性のあるサイン偶然見つければ書きます。サインとはこの程度です。99.9%とかいたのは理由があります。歓迎のサインを否定すべきではない事がおこりました。それはある神社の秋祭に起こりました。丁度御神体が祭壇がら神輿に乗られようと神主様が祭壇から移す瞬間。体感で言えば御神体の左右の渦の左回転の方が神輿に移ろうとし、左右回転体が分離される瞬間に私の頭の上に木の葉が落ち、頭の上で止まりました。秋祭は御神体が神輿に乗られる年に一回の行事ですので、事前に礼を尽くし、体感的にも準備整え観ていました。観るといっても神社の裏正中でのお参り邪魔にならないように気をつけ且つ目はつぶっています。ある意味集中しています。ある意味集中してお参りさせていただく際は何が起ころうと目は開けないと決めております。どんな音がっしようが、蜂、アブが飛んできても目は開けません刺されたことは在りませんがさされればそれだけこちらの事情と割り切ります。ですので、木の葉が落ちたのは解っていてもそのまま目をつぶっていました。以上の事例では秋の落葉の季節以外で木の葉はせいせい1時間に1枚、2枚落ちる程度。落ち葉この程度の落ち方と仮定して頭の上に落ちた経験はありますか?。落ちた瞬間は御神体が祭壇離れる瞬間。一生に1度起こるかどうかの確率でした。確率論ですがこの程度でしたらサインと考えてもいいのでは。ちなみに落ち葉は基本神社からなにも持ちからないのですが、現在家の神棚で自然に帰るのをまっています。サインのことを書くのなら、最低この程度は必要なのでは?サインのことを書きたいのなら、その根拠ほ上記1つくらい当てはまる事項を自分の記事の中に書き責任を持って理由を説明する。感じた等あやふやな表現はしない。真実のサインを知りたいので、サインの記事を書く方に深い説明をして頂きたいその記事にめぐり合いたいと言う思いこめて書き終えます。