Q

一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ
というのを日本一短い手紙という表現でしばしば聞きます。
本多作左衛門縁の地岡崎市在住者としては面白くも感じるものの、中宮定子が贈って清少納言が再出仕を決めたという
いはで思ふぞ
とかもありますし、多分古文ではちょくちょく出てくる感じではないのかなと感じます。
そのあたりの「扱い」とか実際こんな手紙もあるとか日本史だとどんなものがありますか?

 

A

回答になるかどうかわかりませんが、珍しい面白いご質問ですので、ちょっと回答いたします
確かにその文面は有名で、私も若い頃からすでに聞き知っていました
それを「日本一短い手紙」というのは、「実用的な手紙文としての形式と内容を備えた」という含意が含まれています
江戸時代の往来物、明治から戦前にかけての各種「消息文例」、あるいは初中等教育における手紙文の授業、近年の小中国語の暑中見舞い課題や論理国語での挨拶文の学習に至るまで、手紙の作文は、今も昔も学校教育・社会教育の一分野です
今は手紙を使う場面や必要性はかなり小さくなりましたが、20世紀初頭までは相当高かったです
最近はWEB上の記事でちょこちょこっと文例を探せる時代になりましたが、昔は「手紙の書き方」などの実用本は、どんな小さい田舎の書店にも必ず陳列されていました
今でも、ビジネスメールの書き方など、IT技術の変化に伴って、新たな様式を学ぶ必要も生まれてきています
そういう「こういう場合の手紙はどう書いたら良いのか」という実用的・実際的な関心・ニーズが一般に高かった時代に、「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」は、一つの理想形として喧伝されたのだと思います