Q

古文の質問です。
「ものかはと君が言ひけむ鳥の音の 今朝しもなどかかなしかるらむ」
の言ひけむが婉曲ではなく推量になるのはなぜでしょうか?
教えていただけると幸いです。

 

A

その「けむ」は、過去の伝聞(~とかいう)です
学研全訳古語辞典は、次のように説明しています
【語法(1)名詞の上は過去の伝聞 ③の過去の伝聞の用法は、名詞の上にあることが多い。例「『関吹き越ゆる』と言ひけむ浦波」(『源氏物語』)〈「関吹き越ゆる」と歌に詠んだとかいう浦波が。〉】
ここでの用例も、上の辞書にある「過去の伝聞」の用例と全く同じです
これを「過去推量」とする説明は、ほぼ誤りに近い不適切な説明です
なお、学研全訳は、「けむ」の意味を【①〔過去の推量〕…ただろう。…だっただろう。②〔過去の原因の推量〕…たというわけなのだろう。(…というので)…たのだろう。▽上に疑問を表す語を伴う。③〔過去の伝聞〕…たとかいう。…たそうだ。】に三区分しています
あなたは「婉曲」とお尋ねですが、正確には「過去の婉曲」とすると、「過去の伝聞、婉曲」として、学研全訳の③〔過去の伝聞〕に相当します
結論としては、「婉曲ではなく推量になる」という説明が不適切である、ということになります
よろしければ、その不適切な説明を示している主体(出版者)を返信にてお示し頂けますか
国語教育においては、不適切な解答解説は、決して珍しくないことです
以下、お尋ねの箇所の出典(一テキストです)です
【待つ宵の小侍従と申す女房も、この御所にぞ候はれける。そもそもこの女房を待つ宵と召されけることは、ある時、御前より、「待つ宵、かへる朝、いづれか哀れは勝れる。」と仰せければ、かの女房、「待つ宵の更けゆく鐘の声聞けばかへるあしたの鶏は物かは。」と申したりける故にこそ、待つ宵とは召されけれ。/大将、この女房を呼び出でて、昔今の物語どもし給ひて後、小夜もやうやう更けゆけば、旧き都の荒れ行くを、今様にこそ歌はれけれ。「古き都を来て見れば、浅茅が原とぞ荒れにける。月の光は隈なくて、秋風のみぞ身には染む。」と、押し返し押し返し、三遍歌ひ澄まされたりければ、大宮を始め奉つて、御所中の女房達、皆袖をぞ濡らされける。/さる程に、夜もやうやう明けゆけば、大将、暇申しつつ、福原へぞ帰られける。供に候ふ蔵人を召して、「侍従が何と思ふやらん、余りに名残り惜しげに見えつるに、汝、かへつて、ともかくも言うて来よ。」とのたまへば、蔵人、走り帰り、畏まつて、「これは、大将殿の申せと候。」とて、「物かはと君がいひけむ鶏の音の今朝しもなどか悲しかるらむ。」/女房、とりあへず、「待たばこそ更けゆく鐘もつらからめ帰るあしたの鶏の音ぞ憂き。」/蔵人、走りかへつて、この由を申したりければ、「さてこそ汝をば遣はしたれ。」とて、大将、大きに感ぜられけり。それよりしてこそ、ものかはの蔵人とは召されけれ。】(「平家物語」巻五「月見」)