Q

40代男性です。
約3年前にコロナ禍の中、祖母が亡くなりました。
その1年ほど前に私の体調不良を含めて私の行動が原因で妻や子と別居することとなり、祖母の生前に1人で祖母の家に遊びに行く時も別居などせず妻とは仲良しであると祖母を含めて父母や兄弟を除いては伝えており、離婚の危機や別居中であることは内緒にしていました。
祖母の入院中や癌の再発などで入院を繰り返していた時、祖母にとってのひ孫である私の子や妻を連れていけない、会わせてあげられないという悲しさ、辛さが最初にあり、祖母のしんどい時、辛い時に病院に面会は行けませんでした。
今となっては冷静に考えると初孫である私に会いたかっただろうな、と思いますし、私も祖母と生きているうちにもっと話をして少しでも癒してあげたかったですし、いろいろ祖母に教えてほしかったです。
祖母は初孫の私を小さい時からとてもかわいがってくれ、成人してからも仕事終わりや休みの日に祖母宅に遊びに行ったり、一緒に相撲を見に行ったりできる限りおばあちゃん孝行できるように自然と心がけていました。
私は医療に携わっており、治療する側なのですが「自分で治した気になったらあかんで」と口酸っぱく言われていたのがとても印象的な思い出です。
祖母は浄土宗でよく仏壇に「南無阿弥陀仏」を唱えたり、線香をあげたりしていました。私や兄弟が線香をあげたりすると「ありがとう」と喜んでくれていたと思います。
そんな中、祖母の命はもう長くないという時になって、実家に連絡があったものの、私は例の如く面会に行けずそのまま祖母は息を引き取りました。お通夜やお葬式には私は妻や子は参加しなかったものの、1人で参列し通夜で祖母の安らかな顔を見た時や納骨の時は子供のように号泣してしまいました。いろいろな思い出や感情、申し訳なさ、情けなさ、やるせなさが入り混じっていました。
それ以降もなかなかお墓参りも行けず、祖母の優しい声や思い出が時々蘇ってきます。祖母のお墓参りに行けば、妻と仲直りする術や生きていく術を教えてくれるのでしょうか?なんとなくですが、お墓参りに行くと妻や子との別れを近づけるような、認めてしまうような予感、感覚もあるのかもしれません。
妻とはまだ籍は繋がっていますが、音信不通の状態です。離れた県で子供を育て守ってくれています。妻と子は義父母の家で義父母の助けをいただきながら生活しています。
別れを受け入れなければいけないのかもしれませんが、私自身は別れは認めたくありません。できれば話し合いや仲直りをしたいです。
何が言いたいのか、何を質問したいのかまとまりがありませんが、ご助言やご指摘、ご意見をいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

 

A

ご質問文を読み、夜食を片付けている間、私は祖母を思い出していました
大学を卒業して実家に帰って来た直後に祖母は入院し、お盆に亡くなりました
まだ70代前半でした
私はその時、悲しさではなく恐怖を覚えました
自分を無条件で愛してくれた人が死んだこと、これからはそれを自力で得なければならないことを悟り、焦り、震えました
半年後、今の妻と出会い、この人がひょっとしたら祖母のように私を一生救ってくれる人かも知れないと思いました
紆余曲折を経て2年後に結婚しました
祖母に見せる事ができなかった妻ですが、今思うと、祖母を失ったことで得た縁であったかと思います
10年ほどたち、私は他の女性に心奪われ、妻に離婚を願いましたが、妻は心を病み、女とは別れ、その後妻と長くかかって再構築し、今に至ります
子らは全て成人し、みな私を疎んじ、私も体を病み、今はリタイヤして、家事半分バイト半分です
祖母は「坊つちゃん」の清のような存在でした
私が死ぬときは、きっと祖母を思い、祖母の元へ行くでしょう
あなたの祖母に対する思いを読み、私とはまるで違うと思いました
私は子どもの頃、夕食後に祖母の隣でよくお経を読み、休みの日には墓参りについて行きました
「おばあちゃんが死んだら毎週墓参りに来てやる」というと、祖母は泣かんばかりに喜びました
祖母が死んでから約40年、私が祖母の墓に参ったのは片手で数えられるほどです
祖母は私の心にいます
今でも誕生日は思い出しますし、私を見守ってくれていると思っています
祖母に説教されたことは、あったかなかったかさえ覚えていません
あなたが祖母の死に泣いた事も、あなたが妻との再構築を望んでみえることも、私とはまるで違います
きっとそれがあなたなのだろうと思います
だから妻様はあなたのもとへはもう帰って来るつもりはないと私は思います
あなたは全く頼りない、それが質問文を読んだ私の感想です
女は、めそめそと自分を追ってくる男には魅かれません
一方、私がいくら願おうと、妻は私を去らないでしょう
私は決して妻を縛りませんし、妻が去るなら、決して後は追いません
妻にとって私はかけがえのない、おそらく彼女の人生を支える大木のような存在であると思っています
あなたが私を知らないように、私はあなたや妻様を何も知りません
だからこの回答は、根拠があって申し上げるのではない、ただの妄想です
どうです、私は嫌な人間ですか
私は祖母と妻以外からは、疎まれ憎まれこそすれ、愛されたことはほとんどありません
あなたはきっと腕のいい、職場から愛され信頼される医療人でしょう
人は結局、その人らしい喜びや悲しみを生き、人生を生きます
私は多くの文学古典を読み、そのことを確信しています
妻様とは他人になっても、お子様方にとってはあなたはこの世でたった一人の父親です
これからあなたは、あなたらしい喜びや悲しみとともに、あなたにしか生きられない人生を全うされます
今後のご多幸を心よりお祈りいたします

 

返信Q

あなたは全く頼りない、というのはどのあたりから伝わるものなのでしょうか?
「妻と子はもう私のものには帰ってくるつもりはない」というのは妻のこれまでの言動からも痛いほど伝わってきています。そのことを私自身で認めたくない、その気持ちがなぜか祖母を思い墓参りする、しないと繋げてしまっています。もう妻と子は帰ってこないかもしれない、それを結論づけてしまいそうで怖いです。
貴方のように妻の人生を支える大木のような存在になりたかったですし、頼り甲斐のある大木になれなくても一緒の場所に咲き、綺麗に育つ花々のような関係でありかったです。まだ、全く諦められません。
別居して4年近くも籍をそのままにしているのは妻のどのような気持ちなのだと思われますか?
「それくらい貴方がしてよ」という気持ちなのでしょうか?
妻はご両親、特に義父に似てとてもしっかり者で、なんでも1人でやり遂げるような強さもありますが、女性らしい繊細さやか弱さも併せ持っています。貴方がいうように夫である私が頼りないからなんでも1人でやり遂げるような強さが前面に出ていたのかもしれません。
ひとつ疑問に思うのですが、自分を無条件に愛してくれたご回答者様のお祖母様が亡くなられた時に恐怖を覚えたということですが、貴方のご両親様も無条件に愛してくれる存在であると思うのですが、それをも超える大きな存在であり、愛だったのでしょうか?
私もまだ死を強く意識する年齢ではありませんが、その時は天国にいる祖母のもとに真っ先に行くと思います。
一度亀裂の入った関係の奥様と再構築できている貴方が羨ましくもあり、「再構築」する方法を私は教えて欲しいです。
ご丁寧なご回答をいただき、ありがとうございます。
貴方のご健康とご多幸を心よりお祈りしています。

 

返信A

長文の回答をお読み下さり、ありがとうございます
上の回答は、私の中では既に完結しています
以下は蛇足になります(回答同様の妄想の続きです)
・親の愛は条件付きで、祖母のそれとは違うものです
私も、親としての子への愛は条件付きですし、祖父としての孫への愛は無条件で、両者はやはり違うものです
・夫婦関係を再構築したのは妻であって、私ではありません
妻は当時「私を離れたらあなたは不幸になる」と私に言いました
私がしたことは、その言葉を理解し同意した程度です
・妻様が離婚の手続きをなさらないのは、もう誰とも再婚する意志がないためと、あなたが今の暮らしを邪魔なさらないことをご存じであるためだと思います
・私という大木に愛情という水をやっていくことに生きる意味を見出しているのが妻です
あなたの妻様は、あなたと離れて生きていくことであなたと夫婦であった意味を刻もうとなさっているように思います

・ご質問文を読み、頼りない人だと感じたのは事実です
たいへん失礼な事を書いたものだと反省しております
ただ、そう感じたのは、あなたにはどうも孤独の覚悟がお弱いのではという妄想です
人は結局は一人、私にそう思わせてくれたのは祖母であったように思います
祖母は私を無条件で愛してくれましたが、死ぬ時は私を必要とせずに死にました
約二か月の入院中に毎週のように見舞に行った私について祖母は「もう少ししっかりすれば安心なのだが」と言ったと聞きました
私は妻によりかからず生きようとしています
妻は私を頼っていますが、私が死んでも生きて行けるはずです
そして互いに死ぬ時は一人で死ねる人だと思っています
ご質問文のあなたは、妻様に寄りかかりたがりなさっているように読めました
祖母様の墓参云々にも、分離不安という言葉を連想しました
ともに孤独の覚悟から遠いように思いました
以上、失礼の段はどうかお許し下さい

 

返信Q

ご返信いただきありがとうございます。お返事が遅くなり申し訳ありません。
祖母様の「もう少ししっかりすれば安心なのだが」という言葉が本当の愛なのでしょうか。見守る、こちらからは何も言わずに愛するということでしょうか。
確かに離れることに不安があるというよりも子の成長を目の前で見守り、いろいろな世界を教えてあげたい、その手助けを父親としてしたいという思いが強いと思います。「それは離れてでもできる」と言われればそれまでですが、やはり成人やひとり立ちするまでは一緒に暮らしたかったです。仰るようにその時点で私には孤独の覚悟が足りないのかもしれませんね。
親としての子への愛情は条件付きで、祖父母の孫への愛は無条件というのは理解できそうで、今の私には理解が難しいです。
ただ義父母ともに愛情深く子に向き合ってくれていると容易に想像できますし、いつも感謝しています。

 

返信A

これは質問サイトですので、返信をお気にかけて頂くことはありません
「それは離れてでもできる」とは申し上げません
お子様はともかく妻様は、あなたと離れて子を育てようと決意なさいました
あなたが「見守り…教え…手助けを」と願うのは、結果として妻様の決意を否定なさっています
それは、妻様があなたから離れようとした理由と地続きであるように思います
お子様があなたを必要となさる時に備えて確かにお生きになることが、今あなたが妻様やお子様になされることかと思います
祖母の「もう少ししっかりすれば安心なのだが」という言葉は、今わの際でも祖母が私を思っていてくれたことを書いたものです
祖母はいくら私を溺愛しても、自分のために愛したのではなく、私に寄り掛かろうとはしなかった、最初から最後までそうであったという意味で書きました
それは今の私にとってもよいお手本となっています

「親としての子への愛は条件付きですし、祖父としての孫への愛は無条件」というのは、そう深い意味はありません
たとえば子が「宿題したくない」「学校やすみたい」と言えば、親は宿題をさせるよう、訓戒もし、なだめすかしもし、叱りもします
「宿題をする/しない」で対応が変わる、それが条件付きの愛です
孫が「宿題したくない」「学校やすみたい」と言えば、祖父母は「嫌なものはしなくていい」「無理していくな、今日は休め」と言います
「宿題をする/しない」で対応は変わらない、それが無条件の愛です
子にすれば、前者は努力も忍耐も要求されますし、後者はそれらがなく、安心と安逸が保障されます
私は親として子らに常に条件付きの愛で接してきました
今は祖父として無条件の愛に近い接し方をしています
どちらがいい/悪いの話はしておりません
ごくシンプルで下世話な意味でその表現を使いました
以上です

 

返信Q

妻はなかなか男性を好きになったことがないという女性ですので、想像するに再婚する意志は今のところないように思います。夫婦であった意味を刻もうとしているということは夫婦に戻るという意志はもう既になしということですよね。
私は未だに縁を繋ぎ戻したい、よりを戻したい、仲直りしたい、義父母に恩返しや感謝を伝えたいと女々しい想いばかりです。
こういう愛する人を追いかけるような頼りない、信頼できない人間、男であるから離れていったのでしょうね。
頼られる男になることを目標に日々少しずつ研鑽していけたらと思います。例え妻の気持ちは揺るがないとしても。
貴重なご助言をいただき、本当にありがとうございます。

 

返信A

返信読みました
それで良いと思います
あなたが誰も頼らずに生き始めた時、人はあなたを頼もしいと思うはずです
人は一人では生きていけませんが、誰にも寄りかからずに生きていく事はできます
過分なお言葉を頂戴し、どうもありがとうございました

 

返信Q

そうですね。
今は妻の強い決意を受け入れる、妻の決意に寄り添う方が良いのかもしれません。
いろいろな経過があっての決意ですので、妻の気持ちを尊重してあげたいと思います。
あなたのお祖母様は自分のために愛するのではなく、いつでも見返りを求めない愛を与えてくださったのですね。私も同じです。いつも見返りは求めなかったです。
祖母のように生きたいですし、自立した人でありたいです。
子のためにも健康に生き、お金を貯め、いつでも子に会えるように備えます。
近々、祖母に会いに、お墓参りにいこうと思います。

 

返信A

そうなさって下さい
きっと祖母様も喜ばれます

 

返信Q

孫は責任がないからかわいいと言われる所以でしょうか。親は一人前になるように叱責もしますし、時には泣かせてしまうこともありますよね。理解できました。
私にしっかりして、自立してほしいようなニュアンスのことは同居していた時によく2人の会話の中で言っていたように思いますので、それが妻の思いなのかもしれません。
この先どうなるのかはわかりませんが、妻の思いにも寄り添えるように自立できるよう孤独でも生きていけるよう逞しくいたいです。
数々の貴重なご助言をいただき、ありがとうございました。

 

返信A

こちらこそ、です
これからのご多幸を心よりお祈り申します