Q
江戸時代の僧侶が詠んだ和歌の意味について質問です。
生国(豊後)へ帰る弟子に気持ちを伝えた和歌だと思うのですが、どう思いますか?
江戸時代の文学、特に和歌にお詳しい人に質問です。
私は郷土史を調べている******です。
下記の和歌の解釈と意味に悩んでいます。
豊後の僧侶が持っていた掛幅に書かれた和歌ですが、「海士の小舟」を船の漕ぎ手と理解するのか、詠んだ飲光の弟子に紀伊国海士郡(海部郡のことか)の出身がいるので、その海士とするのかで意味が違ってきます。「あとをしたふて」は弟子にたいする惜別の言葉としてはかなり格別だと思います。また「小舟の世を外に」は、どういう意味か見当がつきません。解釈をご教示くだされば幸いです。
「今もなを海士の小舟の世を外に 高くも渡るあとをしたふて 飲光 」
A
・「海士の小舟の」は「世」を導く序詞(小倉百人一首93番源実朝「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海士の小舟の綱手哀しも」をふまえて)と思います
・歌意は「今もなを世を外に高くも渡る跡を慕うて(「ふ」は仮名遣いの誤り)」で取るように思います
・「世を外に高くも渡る」は、「出家者として俗世間より高く(欲望を解脱した高次元に)生きる」というほどの意味かと思います
・「跡を慕うて」は、「慕ふ」の主語、あるいは【誰の「跡」か】により意味が変わります
「(飲光が弟子の跡を)慕ふ」ととれば、「愛弟子との別れが名残惜しい」という、餞別の意になります
「(弟子が先人の跡を)慕ふ」ととれば、「仏教者として先人の跡を慕い一生を送れ」という師としての励ましの意味になります(「跡を慕うて(今後も精進せよ)」)
基本、歌としては後者の意味であり、それに餞別の歌として前者の意味を添えている(そこに実朝の歌の無常観的抒情が重なります)と読むのが自然かと思います
相当に上手い歌である(読みなれている感じ)ように思います