Q

檸檬の話の中で丸善に檸檬爆弾を仕掛けたとありますが何故ですか?

 

A

オレ流の解釈を回答する気はございませんが、ご質問を拝読し一言回答したくなりました
と申しますのは、この問い方「何故ですか」は、全てが見えなくなる問い方です
「丸善に檸檬爆弾を仕掛けたとありますが、なぜか」では何も解決はしません
「私」が、本屋の店内に積み上げた画本の山の上にレモンを置いたのは事実です
その山を「城」、レモンを「爆弾」にそれぞれ見立てたのも事実ですし、その見立てを「おもしろい」と感じたのも事実です
そういった「私」の心(書店の本を乱雑に積み、その上にレモンを置き、妄想して立ち去る行為がおもしろかい)に迫るのが、この作品を読むことです
読者として問うべきは、「『私』はなぜそれをしたのか」という問い(論証の問い)ではなく、「それをした『私』の心はどのようか」という問い(意味の問い)です
オレ流解釈は読者の自由であり、読書の愉楽の一部ですが、学習には不必要であり、その意味もありません
語りや描写の意味をつかむのが小説の読解です
小説の読解は意味の読解であり、論証ではありません(それは不可能かつ無意味です)
今の中等国語教育では「なぜか」の問いが蔓延しており、実に残念です
以下補足します
作者は当時肺結核がかなり進行し、この作品を発表した7年後に死にます
この病気の致死率は当時たいへん高く、「死の病」でした
それは、比喩的に言えば作者および「私」にとっては「時限爆弾」としての意味合いがありました
この作品は、作者および「私」の病気とその当時の性質を考え合わせれば、わりとシンプルに理解できます