Q

芥川龍之介の『英雄の器』の中で、劉邦が1種の感動を目の中に現した。とありますが、一種の感動とは具体的にどういうことなのでしょうか。

 

A

【すると、その中で、鼻の高い顔だけが、思いがけなく、一種の感動を、眼の中に現した。黒い瞳が、熱を持ったように、かがやいて来たのである。
「そうかね。項羽はそんな事を云ったかね。」】
上の箇所からわかるのは、劉邦が呂馬通の言葉によって、はじめて項羽の「『項羽を亡すものは天だ。人力の不足ではない。その証拠には、これだけの軍勢で、必ず漢の軍を三度破って見せる』」という言葉を知ったという事です
【項羽が「項羽を亡すものは天だ」と承知していた(事、承知した上で最期を戦い死んだ)ことを知った感動】
が、「一種の感動」に当たります
それを更に具体的にというのであれば、これはもう解釈の領域になります
私の解釈は、次の通りです
劉邦は、項羽が天と向かい合って(天を意識して)生きた(、そして死んだ)点に、項羽の英雄性を見ています
あなたもご自分でよくお考えになって見て下さい
そもそも呂馬通の考える「英雄と云うものは、天と戦うものだろう」は成立しますか
地上に生きる人で、天に勝てる人がいますか
地に生きる人は天の支配をうけ、それからは決して逃れられません
これは中国思想の本質である「天の思想」です