Q

漢文『郁離子』の共通テスト2018試行の中のある個所について質問です。
猿使いに労役させられている猿が、彼に労役させられていることに疑問を持つ箇所です。
然則吾何假於彼而為之役乎
然らば則ち吾何ぞ彼に假りて之が役を為さんや
「それなら、我々はなぜ彼の所にいて、彼のために働いているのか」
この文の中の「假(仮)」なのですが、「彼に仮りて」とはどういう意味ですか。
「仮」には動詞として、「借りる」の意味があるとは思いますが、「彼に借りて(この仕事をしている)」では意味が通りません。
訳だと、「彼のために」というのが付いているので、「仮」には「代わり」という意味があるので、「彼の代わりに」という意味で解釈しているのでしょうか。
しかし、その場合、書き下し文の「彼に仮りて」では、「彼に代わりに」の意味では解釈できないような気がします。
あるいは、そもそも、これは日本語の古文の問題かもしれませんが、日本語の古文では「かる(借る)」という動詞が、「代わりとなる」という意味があるのでしょうか。そうしたら、「彼に仮(借)りて」は「彼の代わりに」と訳してもよさそうですが、古語辞典を引いた限りでは、そのような用例は見つけられませんでした。
この「假於彼」について、何かご存じの方がいらっしゃればお教えください。
また、Youtubeには、この問題の解説動画があり、そこではこの箇所は、「仮」は「仮託」の「仮」だから、「かこつける」や「理由とする」という意味があるので、違約すると「彼のために」という意味となる、というように解説されていましたが、果たして、「仮」に「理由とする」という意味が本当にあるのでしょうか?「仮託」の「仮」は、「借りる」から派生して「(借りて)利用する」かと思いますが、ここは違うと思います。
19:00ごろからです。
<補足>
前後の文脈を確認したい方はリンクをご覧ください。原文と、書き下し分と訳を引用しておきます。
楚有養狙以為生者,楚人謂之狙公。旦日,必部分眾狙於庭,使老狙率以之山中,求草木之實,賦什一以自奉。或不給,則加鞭箠焉。群狙皆畏苦之,弗敢違也。
一日,有小狙謂眾狙曰:「山之果,公所樹與?」曰:「否也,天生也。」曰:「非公不得而取與?」曰:「否也,皆得而取也。」曰:「然則吾何假於彼而為之役乎?」言未既,眾狙皆寤。
其夕,相與伺狙公之寢,破柵毀柙。取其積,相攜而入於林中,不復歸。狙公卒餒而死。
郁離子曰:世有以術使民而無道揆者,其如狙公乎?惟其昏而未覺也,一旦有開之,其術窮矣。
<書き下し>
楚に狙を養ひ以て生を為す者有り、楚人之を狙公と謂ふ。且日、必ず眾狙を庭に部分し,老狙をして率いて以て山中に之きて,草木の実を求め、什のーを賦し以て自らに奉ぜしむ。群狙、皆畏れて之を苦しみ,敢へて違はざるなり。一日、小狙有りて,衆狙に謂ひて曰く,山の果は公の樹うる所か、と。曰く、否なり。天、生ずるなり。曰く、公に非ざれば得て取らざるか?曰く、否なり、と。皆得て取るなり、と。曰く、然らば則ち吾何ぞ彼に假りて之が役を為さんや、と。言未だ既らざるに、衆狙皆寤る。其の夕、相ひ與に狙公の寝ぬるを伺ひて,柵を破り柙を毁つ。其の積を取り、相い攜えて林中に入り、復た帰らず。狙公卒に餒えて死す。
郁雕子曰く、世に術を以て民を使ひ、道揆無き者有り。其れ狙公の如きか?惟だ其れ昏くして未だ覺らざるなり。一旦之を開くこと有らば、其の術窮す。
<訳>
楚の国に猿を飼って生計を立てている者がいた。楚の人は彼を猿使いと呼んだ。朝になると多くの猿たちを庭で部ごとに分け、老猿に率いらせて山に入れ、草木の実を探させ、十個に一個を与えて自分に奉仕させていた。探してこない猿があると、鞭打った。群れの猿たちは皆畏れ、困っていたが、言いつけを守らないということは決して無かった。ある日、小猿が多くの猿たちに聞いた、「山の木の実は猿使いが植えたものか」と。「いや、天が与えたものだ」と。「猿使いでなければ取ることができないものか」と。「いや、皆取ることができる」と。「それなら、我々はなぜ彼の所にいて、彼のために働いているのか」と。言葉がまだ終わらないうちに、多くの猿たちは皆気づいた。その日の夕方、猿使いの寝ている隙を互いに伺い、柵を破り、檻を壊し、猿使いの蓄えを取り、皆で手を取り合って林の中に入り、二度と帰ることは無かった。猿使いはとうとう飢え死にしてしまった

 

A

解釈としては「仮」=「借」で良いと私は思います
「於彼」は「彼の所で/彼に」でしょう
「だったらどうして私は彼に借り、彼のために働くのか」
何を借りているか(「借」の目的語)は言っていない(書いていない/それはここでわざわざ言う必要がないほど明らかなものである)と私ならば解釈し説明します
これが一番無理のない自然な考え方だと私は思います

狙公と衆狙とは職住未分離の雇用被雇用関係です

前近代の商工業における雇用者と徒弟はすべて同じです
雇用者は被雇用者に衣職住を無償貸与し、徒弟は労務で雇用者に返報します
「吾何假於彼而為之役乎」はその状況に疑問を呈した言葉です
以上は非常にシンプルな話だと私は思います
難しく考え説明するのはたいてい前提に誤りを含んでいます
私から見れば、【「彼に借りて(この仕事をしている)」では意味が通りません】がその前提の誤りです