Q

富井の古典文法とドリルで古文を進めています。
富井の古典文法の方に「べし」の下に体言がきたら当然か予定になると書いてありますが、ドリルの①、②のべしの下は体言なのに答えが当然、予定ではないです。
なぜでしょうか

 

 

A

「体言が続けば当然、予定の意味になる」
そう書いてある辞書がありますか
おそらく何かの受験教材の教えかと想像しますが、かりに事実だとしても、それはパターンに過ぎず、絶対成立する法則(つまり文法)ではありません
この教材も同様です
4択問題で、2と3が可能と意志ですから1の答えは命令でしょう
しかし連体形で名詞が続く「べき」の意味を命令と説明するとは理解困難です
そもそも「べし」の命令ないしは義務の意味は、命令する人とされる人の権力勾配、力関係や地位身分の差がある両者が明確な場合にそう説明します
②「道しるべの人を顧みて越ゆべきよしを申す」
ここには、命令する人がされる人(道しるべの人)より高位であることが示されていませんし、それ以前に命令する人自体、文中に示されていません
せめて敬語でその人の地位身分が示されていればよいのですが、ここに尊敬の意を持つ敬語はなく、それすらありません
これでは命令の用例を示す例文にはそもそもなりません
命令の例文としては、以下のような文が挙げられます
a 帝、いぶせく思し召しければ、殺すべき由宣下せられけるを(「源平盛衰記」巻六「幽王褒姒烽火の事」)
この文は、帝という絶対権力者が宣下(天皇が臣下に命令を下すこと)する内容として「殺すべき由」とあり、「べし」が帝の命令として家来たちに宣下されたことが明らかです
こういう例文を使うべきであるところ、不適切な例文を使っている「富井の古典文法」は、教材として不適切であるというべきです
下のカテマス回答者は、次のような主旨のことを言っています
ア ①の出典は「奥の細道」である
イ 文全体は「主の云ふ、是より出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべき由を申す。」である
ウ 「主」が「道しるべの人」に「越ゆべき由」命令していると考えられ、「べし」は命令である
エ よって①は用例として適切であり、「富井の古典文法」は正しい
この論は強弁です
私は彼の回答については感想にとどめます
【そもそも本文に「頼みて」とあるけどなあ。「主」が武士であれば命令だろうけど、それなら「頼みて」と言うかなあ。「主」が武士でないなら、「道しるべの人」に「命令」できるのかなあ。命令と「頼みて」はふつう矛盾すると思うけどなあ。「頼みて」と考え合わせれば、ここの「べし」は予定とも考えられそうだけどなあ。それ以前に例文①は前半をまるごと省略しているけどなあ。省略した例文①で選ばせることが適切なのかなあ。これだけ疑問点があるのに適切だとなぜいえるのかなあ。】
質問者及び閲覧者の方で、適否はご判断下さい(決して難しくはないでしょう)
さらにもう一点、カテマス回答者の説明を批判しておきます
オ 「〜べきよし(よし)」は、特殊な語法で、(中略)しばしば会話文(命令文)と地の文が融合する、直接話法と間接話法の中間のような使い方をされる(後略)
この説明は、例文①(や、私の挙げた例文a)とは関係ありません
また、説明として不適切で、正しくは「直接話法(発話文)に始まり間接話法(地の文)へ移行する文」と表現するべきです
上に書いた通り、例文①や、私の挙げた例文aは、「(かりに発話であるとして、その)単純な間接話法」です(イ の「主の云ふ、是より出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべき由を申す。」は、全体として「直接話法(発話文)に始まり間接話法(地の文)へ移行する文」ですが、前半を省略した例文①ではそうは言えません)
「直接話法(発話文)に始まり間接話法(地の文)へ移行する文」とは、以下のような文を言います
b 同じき二十九日、入道上洛して、西八条の宿所に着きて、肥後守、飛騨守を召して、「貞能、景家、たしかに承れ。謀反の輩多し。与力同心の上下の北面等、一人も漏らさず搦めまゐらすべき」の由、行綱が口状に付けて下知し給ふ。(「源平盛衰記」巻五「成親以下召し捕らるる事」)
入道清盛が家来に対して命令を下す場面を、冒頭「貞能、景家、たしかに承れ」の臨場感あふれる直接話法が、末尾で歴史叙述の間接話法「一人も漏らさず搦めまゐらすべき」の由、行綱が口状に付けて下知し給ふ」に変化します
以上、彼の説明のデタラメさは、初学者は気がつきにくいものです
以上、ご質問のおかげをもちまして、昨今売れている受験教材および某カテマス回答(者)の内容と質につき、検討批判する機会を得られました
お礼申し上げます