Q

吉野弘さんの詩『生命は』の題名でなぜ『命』ではないのかを詩の内容と結びつけて教えてください。

詩の内容
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

わたしも あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

 

A

それは悪い問い方です
その問いは「なぜ」と問うているのが不適切です
その問いが実質的に問うているのは、【「命」という表記と比べて、「生命」という表記が、どのような印象あるいは意味の違いを読者に与えるか】です
「どのように」とシンプルに問うべき問いを、「なぜ」と問うのは不適切です
そのような不適切な形の問いは、今の国語教育にたいへん多いです
その学習課題(、ただし、元の学習課題がご質問文の通りであったとすればですが、)を作成した(恐らくは)教科書会社も、そのままの形で生徒に丸投げした教師も、ともに国語力が高くありません
以下、問いに回答します
まずは回答の前提となる基礎的事項です
・漢字は一般に、一字では意味が広く、二字以上の熟語にすると意味が狭くなります
・「命」一字では意味が広く、「いのち」の他、「さだめ(「運命」の「命」)」や「言い付け(「命令」の命)」など、他の意味も表します
・「生命」は「命」よりも意味が狭く、ほぼ和語の「いのち」と同意になります
答えの例
【複数の意味を持つ「命」一字よりも、和語の「いのち」とほぼ同義である熟語「生命」が、「いのち」を主題とするこの詩の題名としてよりふさわしいから】

今気づきましたので補足します
私の回答は、あなたの問いを以下のように読み替えています
【吉野弘の詩「生命は」の題名は、なぜ「命は」ではないのか】
「は」を落として質問されたと勝手に解釈しましたが、上の読み替えが正しくない場合はお教え下さいますか