Q
古文の奥の細道において義経を追悼した松尾芭蕉が自分の死後は義仲の墓に埋葬してほしいと願った理由と奥の細道が伝えたいことを教えてください
A
すべて間違えています
「奥の細道」に「表現しようとした事」はあっても、「伝えたいこと」はありません
「奥の細道において義経を追悼した」事実はありません
本文を正確に読むべきです
「さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢となる」
「義臣」とは「正しい家来」という意味です
義経は主君であり、「義臣」は義経の家来です
芭蕉は最後まで主君義経を見捨てずに守り従い、主人と共に滅んだ「義臣」に思いを馳せています
義経の事を追悼した表現がどこにありますか
「奥の細道において義経を追悼した」と学んだのなら教えた教師の誤りです
芭蕉は斎藤実盛ほか、「平家物語」で語られているさまざまな武士武将に思いを馳せています
その中の一人が義仲で、「平家物語」ではその最後が最も詳しく悲劇的英雄的に語られています
芭蕉が墓所を義仲寺に選んだのはそれが一因でしょう
「奥の細道」は芭蕉の俳文(発句と紀行文を融合させた文学作品)の最高峰です
主題はさまざまに表現できるでしょうが、中学生であれば「風流」「風雅」と理解すれば十分です