Q

夏目漱石のこころについて質問です。
お嬢さんはKが私に恋心を抱いていると知っていたのですか?

 

A

先の回答者の仰る通りです
私がそれに付け加えるのは、次の点を指摘するためです
この作品にそれが書かれていない、先生(私)が遺書にそれを書いていないのは、Kが遺書にお嬢さんについて何も書かなかったことと、おそらくは同じ理由であるという事です
もう一つ、あなたがお尋ねの疑問は、多くの読者が思い浮かべる疑問かと思いますが、上の事を理解する読者は、その疑問を無意味な疑問として葬り去るだろうということです
Kが問題とせず、先生(私)が問題としなかった点を読者が考える意味はなく、むしろ考えるべきは、二人がそれを問題としなかったことの意味であると、この作品を理解する読者であれば、考えるだろうからです
端的に言えば、Kも先生(私)も、おそらくは作者も、お嬢さんがKの恋心に気付いていようがいまいが、お嬢さんには何の責任もないし、Kや先生(私)の苦悩や自殺には関係はないと考えていたであろうと、作品を理解する読者であれば考えるだろうからです
私があなたのお示しになったような疑問を読むたびに、いつも思い起こすのは、セルバンテス『ドン・キホーテ』二巻「娘羊飼いマルセーラ」の独白です
「男が美人の娘に恋するのは、娘の責任ではない。男たちが娘への恋ゆえに破滅しようと、娘が男たちの思いにどうこたえようと、それは男たちの問題、男たちの責任であり、娘には関係がなく、娘を責めるのは不当である、娘の人生は娘の人生であり、娘自身が決めるべきもの。私は羊と共に山に暮らします」
お嬢さんに対して、その内心や振舞を問題にするのは、マルセーラを責める村の男たちと変わりません
Kや先生(私)がお嬢さんの内面に決して言及しなかったのは、セルバンテスと漱石の考えがこの点においては近いものであったことを示していると私は思います
あなたがどういう意図からこのご質問をなさったのか、それはあなたご自身の問題であって、この作品の問題ではないように思います
日本には「真間の手児奈」という伝説があり、『万葉集』以来、文学の素材となっています
二人の男の求愛を同時に受けた女が、二つの求愛に同時に応えられないことに苦しみ自殺するという話で、私は高校時代にこの話を学んだ時から強い違和感を感じてきました
『ドン・キホーテ』のマルセーラの話を読んで、その理由がよくわかりました
私にとって、あなたのこのご質問は興味深く、そこで回答させて頂きました