Q

よくガダルカナルの戦いで戦力の逐次投入が批判されますが制海権のない日本にとって駆逐艦による鼠輸送が精一杯だったのではありませんか?

 

A

クラウゼヴィッツの『戦争論』にあるところの「攻撃の限界点」、石原莞爾が論じたところの「攻勢終末線」、それを最初から無視して始めたのが、大日本帝国の対米英戦争でした
中でも、インパール作戦とガダルカナル・ニューギニア作戦はその最たるものでした
あなたが「精一杯」とお書きになっていらっしゃること自体、作戦が戦略的に誤っていた(しかも致命的に)ことを示しています
戦前海軍記者であった伊藤正徳は、その名著「連合艦隊の最後」において次のように書いています
【ラバウルさえも既に攻勢終末点の疑問の線上にあつた。島と港湾の関係は陸上とは違うから多少の超越はやむを得ない。然らば即ち初めからソロモン群島は北端ラバウルを制するに止め、ガダルカナル島以北の諸島は戦場の外に達観するだけの「心眼」が必要であつた。が、かかる見識と真勇とを日本の大本営に求めるのは無理であつたろう。しかし前線の提督や将軍には権限外のことだから、やはりソロモン消耗戦の戦略敗北の責任は、これを最高統帥の不明に帰する外はあるまい。】
問題は戦力の逐次投入や鼠輸送の是非を論じる遥か以前にありました
優秀な指揮官が現場で神采配を続けたとしても、敗北は時間の問題でした
あれは最初からそういう戦争でした

これは、『連合艦隊の最後』の挿絵の一つです(一部修正)
右下、青がガダルカナル島、赤がラバウルのおおよその位置です
1942年12月にガダルカナル島撤退を決定した一年半後の1944年6月、海軍の主力であった機動艦隊がほぼ壊滅(マリアナ沖海戦:緑で囲ったあたり)し、同年10月には連合艦隊自体が実質的に壊滅します(レイテ沖海戦:黄色で囲ったあたり)