グラムロックに惹かれたのが最初の音楽体験とは、面白いと思った。現在のバンド、Robin's Egg Blueのもつリリカルなイメージとかけ離れているように思ったので。
どういう変遷をへて現在のスタイルに至ったんだろう。
Robin's Egg Blue
わたし:ギターをはじめたきっかけは?
まさし:そういう音楽を聞いてるうちに、中三のときにむしょうにギターを弾きたくなって、ある日父に”ギター買ってほしい”って直接言ったんですね。
すると、驚く事に一週間後に父が楽器屋につれてってくれて、エレキギター買ってくれたんです。それも、中三の、初心者に与えるにはもったいないような高価なのを。
意外でした。それから父が若かった頃,バンドをやってた事とか、ぽつりぽつりと話してくれるようになって。
わたし:お父様,ご自分のやりたかった事を息子さんが好きになって、嬉しかったんでしょうね。
まさし:そうかもしれません。で、父が好きな音楽の事とかも話すようになって。アメリカンロックとか、ブルースとか。それまで僕が聞いていた音楽とはずいぶんと違うんですけど。そういうのも僕も聞くようになりました。
わたし:お父様からも影響を受けてるんですね。音楽の幅が広がったんですね。
まさし:影響受けましたねー。それで、自宅で父と二人でギター弾いたりしてましたよ。
わたし:音楽が取り持つ親子の会話、いいですねー。バンド活動はそのころから始めたんですか?
まさし:高校のときに、同級生と自分のバンドを組んで活動を始めました。
わたし:プロのバンドをコピーしたり?
まさし:オリジナルをやってました。ボーカルのやつと一緒に作曲して。
わたし:英語の歌詞?
まさし:日本語で。
わたし:文化祭に出たり、コンテストに出たりの活動もしていたんですか?
まさし:文化祭には出てました。コンテストは、当時結構有名だった、ヤマハの全国規模の”ティーンズ・ミュージック・フェスティバル”っていうのに出てました。
地区大会、その次に県大会、それで勝ち抜くと、富山の場合、北陸大会、そして最後に全国大会に出られるんですよ。高三のときに、そのバンドで全国大会に出ました。
わたし:かなり大規模なコンテストですね、そんなコンテストで全国大会まで行くのってかなりすごいんじゃ。
まさし:あれは、1999年でしたけど、中野サンプラザでオリジナル曲の演奏をしました。優勝は逃しましたけど。
わたし:惜しい! でもそこまで行ったら、いろんなとこからデビューしませんかーとかお声がかかったのでは。
まさし:ぼくもそれ期待してたんですけどねー、無かったですね。でもそのコンテストをきっかけにプロデビューしたミュージシャンは多いんですよ。
たとえば、僕らの少し前は同じ全国大会を経て、椎名林檎さんとか、アイコさんていうミュージシャンがデビューしてます。
わたし:その後は?
まさし:東京のヤマハの専門学校でギターと作曲を勉強しました。そのあといったん富山に帰って就職して、趣味でギター弾いたり、ギターの先生の仕事させてもらったり。
ときどきサポートギターの仕事もしてました。サポートギターの仕事で、スティービーワンダーの曲を演奏しているときに、ふっと、俺はなんでこんな事やってんだ!!という気持ちになって、
もっと世界を観たい、と思ったんですね。今度は東京でなくて,他の所がいい。それで、旅行でニューヨークに来てみました。
わたし:ニューヨーク、肌にあったんでしょうね。
まさし:ええ。それで、長期滞在しに戻って来たんですよ。
つづく