先生の作品のコンサート | ぞうの みみこのブログ

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もう少しで今年も終わり。今年のうちに、今月に行ったコンサートの話題。

12/11/2012はウェストサイドにあるマネス音楽院で、現代音楽作曲家のコンサートがありました。

プログラムは
Omnivorous Furniture, for Sinfonietta and Electronica(2004)  Mason Bated (b. 1977)

Continental Divide (1994)   Derek Bermel (b. 1967)

Dracula (1999)    David Del Tredici (B. 1937)

最後は私の作曲の師であるデイビッド・デル・トレディチ先生の曲でした。このコンサートはいろんな意味で、すこし後に行った、ニューヨークフィルによる現代音楽のコンサートと対照的でした。先生の作品はソプラノ独唱と室内アンサンブルによる”モノドラマ.”

聴こえてくるのは、三和音を基調とした調性のある音楽。多くの人が現代音楽の特徴と捉えているようなクラスターなどのピッチや不協和音はあまり正面に出てこず、伝統的和声にささえられたソプラノのメロディーは非常に鮮明でリリカルです。こちらでは、先生のことをネオロマンティシズムの父、などと言う人もいるようです。

ただ付け加えたいのは、先生が最初からそのような”伝統的”調性のあるスタイルで作曲し続けた訳でなく、60年~70年代に青年期を送った多くの作曲家同様、シリアリズムの教育を受け、12音技法でも作曲をしていた時期を経ての選択だった(らしい)と言う事です。

作曲のレッスン中に大胆にも聞いた事があります。

私:先生って、よくこっちでネオロマンティシズムのお父さん、て言われますよね。でも、むかしは無調の技法で音楽を書かれていた。変わったきっかけは何ですか?

せんせい:(にへら、と笑いながら)年を取ってね、それで変わったのさ。

さも自然の成り行きのように。

どんなスタイルで、どんなツールで作曲しようとも、音楽はに自分の内なる声にしたがって書かれるべき。12音技法とか、否定はしないけど、(もっと膨大な情報量と歴史のある調性のある技法と比べると)それらは中心がない(Tonal centerがないから音楽の球心性も欠けがち)ため、気をつけないとメリハリの無い音楽になってしまう。

どんな音楽を書こうと、音には作曲家がきっちり意図したDirectionがあるべき。音楽はやっぱりロマンチックじゃなくっちゃ。

みたいな基本的な事を、先生から教わったような気がします。

ユーチューブでは、この日の演奏動画は無かったです。演奏直後の先生とボーカリストの方の短い映像はなぜかあったんですが。。

この日のボーカリスト、ソプラノのチェルシーさん、お疲れさまでした。跳躍が多く、縦横無尽に動くボーカルラインを一見軽々と歌ってのけてお見事。

てっきり、すでにどこかの団体に所属のプロかと思いきや、まだマネスの大学院の学生との事。帰宅後にフェイスブックで友達申請するとすぐ承諾してくれました。気さくな女性です。将来が楽しみ。

先生の作品の一例を挙げておきます。