かつて京都の伏見というところに変わったおっさんがいた。
数学者、教育者を自任し、地域の子どもたちを集めて数学の美しさを教えていた。
名前もない塾とも呼ばないその「塾」に多くの変人が集った。
学校教育の在り方を真っ向から否定し高校、大学なんぞ自分で勝手に受かってこい!というスタイル
さすがにそれではあかん!と先輩が後輩を指導するというスタイルが確立し、学年を超えて「塾生」はみんな仲が良く、卒業後もなにかと集まってワイワイと国の行く末から下ネタまでを熱く語り合った。
自分で勝手に受かってこい!というスタイルのわりには高偏差値な学校に多く進学し、卒業生には各界で活躍されている方々も多い。(某元大臣も卒業生で何かにつけてこの塾の発言をされている。)
最盛期は1学年400名を超える塾生がいたけれど、おっさんの老齢化と大手進学塾の台頭でよっぽど物好きか卒業生の子息ぐらいしか行かなくなり塾生は激減。
ついにおっさんは教壇から去り、意志を継いだ教え子が切り盛りして、今でも少数精鋭ながら優秀な人材を輩出し続けている。
かく言う私も元塾生で、うちの息子も滑り込みでおっさんの指導を1年間受けた。
私のような変わり者がこの年までなんとか世の中を渡ってこれたのも青春時代をその空間で過ごしたということが大いに影響しており、うちの子の人生にも大きく影響を与えていると思う。
若い頃から遊びも豪快だったおっさん、晩年もタバコをスパスパ吸い、毎晩ウイスキーを1瓶空けるという生活で、朝起こしに行ったときには書きかけの原稿を残したままベッドで冷たくなっていたとか?
白洲次郎じゃないけれど、遺志により葬式など一切の追悼儀式を拒否し今日荼毘に付される。
思い出は尽きないけれどもう会えない淋しさ、哀しさがしみじみと沸き起こっている。
ご冥福を祈るのみ
あーおもろかった!と言って死ぬ人生