そんなことをいろいろと考えていると、新潟県に相応しい知事とは行政経験豊富な人物であるという結論になる。
一昨年の前回選挙では、前長岡市長である森民夫氏が与党系候補として立候補した。
彼は建設官僚を経てやがて長岡市長となるが、特筆すべきは2009年から知事選立候補までの7年もの間全国市長会会長を務めていたということである。選挙結果はご存知の通り、野党系候補のノー天気な前職が6万票の差をつけて当選した。
この選挙結果からすれば、原発再稼働をめぐるone-issue選挙と言ってよい。
なぜなら、森民夫氏の豊富な行政経験よりも県民はフラッとやってきた変人を選択したのだから。
選挙戦術だけの話をすれば、新潟県民にとってはなるほど原発再稼働に関する論議はわかりやすい。それを争点として選挙戦に臨んだ野党の作戦勝ちであると言わざるをえない。
だが、これによって、森民夫氏の豊富な行政経験は新潟県政にとって露と消えてしまった。
誠に惜しい人材を新潟県民はかくも簡単に切り捨てて、阿呆を首長に仰ぐこととなった。今や全国の笑いものである。
なるほど、田中角栄のような政治家の恩恵にどっぷりと漬かってきた県民性を考えると、扇動的な聞こえの良い政治家を好んでいるようなのだが、今となっては稀代の大物政治家を望むことよりも、調整能力を十分に持ち行政経験豊富な実務派を選択するのが王道とも思える。
国会議員であろうが、県会議員であろうが、県政の中に入って地道な調整を行ってきた人物ではない。言ってみれば、県会議員なんぞただの外野にすぎないのである。扇動された政治よりも満遍なく実務を見渡せる行政が望まれる。
公約というものは、県民の経済活動や高齢者・少子化対策などの政策課題に立脚したものでなければならない。いわばルーティンをしっかりとこなした上での公約であることを忘れてはならない。
なるほど、柏崎刈羽原発の再稼働問題は県民にとっての重要課題ではあるが、ただでさえ見劣りのする県政がそのone-issueのみにとらわれている間に、さらに置いてけぼりを食らったというのが今の新潟県の実態ではないだろうか。
その県政を弄んできたのが、あの連中なのである。