もう街にはクリスマスのデコレーションがちらほら見かけるようになりました。

まだ10月なのにねぇ ちっと早すぎるような気がするけど。


そこで思い出したのが我が家のクリスマス


我が家にはこどもの頃からクリスマスツリーが飾られていました。

ヒロシが近くの山に行って1.5mくらいの杉を切ってくるのです。

ヒロシはどこからかツリーの飾りを調達してあってそれに私たち子供は飾りつけするのです。

その楽しかったこと。


昭和30年代後半ど田舎村にはクリスマスツリーを飾る家など家以外

ありませんでした。


だから家は特別なんだとうれしかったです。


小学生高学年まで私はサンタクロースを完全に信じていました。


でもたまに小学生の私は考えました。


何故家には煙突がないのにサンタクロースが来るのか?

サンタクロースは外国人なのになぜ日本人の子供にもプレゼントくれるのか?


しかしこどもも考えられる生活範囲って限られますよね。

いくら考えても欲しいものがプレゼントされるからサンタクロースはいるとしか思えなかった。


それほどヒロシとタツコは巧妙にプレゼントを買い枕元に置いておいてくれたのです。


今になって思えば素敵な思い出をありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。


ただひとつ姉マユミの誕生日が12月19日でいつもクリスマスパーティーと一緒に行われるのが

不満であった。ワタシと妹サユリは一度も誕生日パーティをしてもらったことがなかったから。







昨日友人と居酒屋にいって思いだした。


ヒロシはにんにくが好きだった。


ヒロシはにんにくの皮をむき七輪に炭を入れて

網を乗せてその上ににんにくを焼き味噌をつけて食べるのです。


小さい頃ワタシはそれを見るのが嫌だった。

にんにくを見るだけでも嫌なお年頃だったんです。


だってにんにくの臭いが家中に広がるんだもの。


にんにくを食べた翌日のヒロシにはちょっと近づけなかった。



かたくなににんにくを拒んでいたワタシだが

ある日ヒロシににんにく臭い臭いといってるが

一度食べてごらん。

皆で食べれば臭いなんか

気にならないよ。と言うようなことをいわれ

1かけ食べました。


おいしかった。


ヒロシと一緒に良くにんにく食べていました。


今考えると周りの人は臭かっただろうね。



家族写真


ワタシが持っている数少ない家族写真です。

これは多分夏のお祭りの時ですね。


昔のど田舎村の楽しみといえば年一回の夏祭り


テレビのない時代地元の神社のお祭りは大人も子供も

楽しめる一大イベントでした。

とはいっても小さい村のお祭りですからたかがしれてるのですが。


いつもは閑散としているど田舎村

お祭りの時はいろんなところから帰省して人口が3倍くらいに増えるのです。


だからこどものころのワタシはこんなすごいお祭りは他にはないと思っていました(笑)




ヒロシは村の役員をしていたのでしょう。


よく先頭にたって祭りを仕切っていました。


そんなヒロシをワタシは誇りの思っていました。


だってこんなお祭り(すごいと思ってるワタシ)の先頭に立つなんって!


今も続いてる夏祭り。

何年か前行った時余りの規模の小ささにびっくりしました。


でも現代の村の子供たちはどう思っているのでしょうか?


ちょっと聞いてみたいような怖いような。





商売を始めてからはヒロシとタツコ何年も休日はなかった。


だから家族全員でどこかに出かけたのはワタシが小学校低学年まで。


花見に行ったり海水浴へいったりホンの数回だけど写真も残っていて

今でも姉妹が集まるとその話が出ます。


昔は今のように家族旅行するなんで時代ではありませんでした。

日帰りでも本当に近所では珍しいことでした。

戦後20年近く経っていてもです。


ヒロシとタツコは私たち3姉妹を育てるため身を粉にして働いていたんですね。


私が中学生の頃、ヒロシは朝突然出かけるぞと皆を起こすのです。

タツコに早く着替えろとせかされワタシとサユリはなにがなんだか分からず

車に乗りました。

マユミはもう高校生になっていて用事があるからと一緒には出かけませんでした。

ワタシはいつもマユミは長女だから特別なんだぁと思っていました。


ついたところは東北県で有名な湖。

ワタシはせっかくきたんだからレストランで食事したかったけど

ヒロシ朝早くしっかりお弁当作ってきていたのです。

芝生に敷物を敷き家族4人でお弁当を食べる。

おにぎりと漬物、昨日の料理の残り物。


ヒロシの握ってくれたおにぎりは本当においしかった。

なにが違っていたのかはいまでも分かりません。

硬くでもなくボロボロ崩れるわけでもなく中には

大きなしゃけが入っていました。


ヒロシはお昼からビールで出来上がりかえりはタツコが運転。


これがたまにのヒロシの休日でした。




ワタシはなにが嫌かって選挙が大嫌いだった。


4年に一度来る選挙は自分のうちが選挙事務所になるのだから

たまったものではない。


ヒロシは何期議員をしていたのだろうか。

記憶してるだけでも5期はしてるから20年はしていたことになる。

引退する頃は議長とか勤めていたからかなり長くやっていたんだね。


小学生のときはとにかく人がいっぱい来るのでなんだろうと思っていた。

人が来るとうれしいもんだから大人の周りをチョロチョロしてタツコに

怒られた覚えがある。


中学生になると3歳年上のマユミはスグイス嬢に借り出され毎日車から

ヒロシを宜しくと連呼していた。


ワタシとサユリは居場所がなく小屋の二階に小部屋が作られそこで夜などは

過ごすことが多かった。


自分家なのに他人が支配しているような家は本当に居心地が悪かった。

なんでヒロシは選挙なんかに出るんだろうといつも思っていた。

思春期のワタシ外でヒロシの選挙ポスターを見たりするのも恥ずかしかった。


高校生になるといっちょ前にボーイフレンドとか出来る。

選挙になると電話は勝手に使えなくなる。

今のように携帯なんかない時代、家の電話が使えないというのは不満だった。

いつかは秘密でボーイフレンドと長話してたら選挙に応援に来てる人がヒロシに

告げ口し、こっぴどく怒られた。


一番嫌だったのが個別に電話して清き1票をと電話させられことだった。

家は電話回線1回線だったので旅館の電話を使ってお願いするのだ。


絶対こんな家出っててやるといつも思っていました。

ヒロシは温泉旅館と議員

タツコはガソリンスタンド・ガス屋・食堂(これは私が高校生になるまでやっていた)


毎日が忙しく家族だけでは到底賄えない。


一応ワタシたち子どもも一所懸命手伝いしましたがなんせ子ども。

学校へ行ったり遊びに行ったり中学になると部活で忙しくなり

うちの手伝いはなかなか出来なくなりました。


そこで親戚中で我が家へ手伝いにきてくれた。

親戚中農家なので農繁期が終われば手伝ってくれた。


一番長く手伝ってくれたのがタツコの義姉

タツコの実家の嫁さんです。


タツコが外に配達や集金に出かける時留守番がほしい。

子どもも見て欲しい。

でも他人だとちょっと・・・

と言う事で義姉だったようです。

普通だったら小姑の手伝いなんてと思いますがこの2人は違ってたんですね。


今でもタツコ78歳おばさん87歳とても仲が良いです。


こうやって手伝ってくれる人がいるのでヒロシ年何回か旅行に行っていた。

一人の時もあったがタツコと一緒の時が多かったような。


一番力を入れていたのは海軍の戦友会

戦友会のメンバーは全国に散らばり毎年どこかの地区の人が幹事してて

戦友会が行われていたみたいです。

だから日本中いろんなところに出かける。


タツコあんたは偉いよ。

こんな破天荒なヒロシについてまわっていたんだから。


ヒロシあんなに戦争中のことを話し懐かしがっていたのにパスポートは

もっていませんでした。

だから旅行するのは日本のみ。


その点タツコはヒロシが亡くなった後パスポートを取り記憶してるだけでも

ハワイ

オーストライリア

シンガーポールへ出かけている。


なんて素敵なワタシの両親。


ワタシは確実にあなたたちのDNAを受け継いでます。





根っからの酒飲みのヒロシ


ヒロシが好んで食べたものを思い出してみた。


ヒロシは刺身が好きだった。


夕食を家族で食べる時はヒロシだけマグロの刺身がついていた。

ヒロシはビールを飲みながらうまそうに食べていた。

でも子どもは食べてはいけない物なのだとしばらくの間思っていた。


塩うにこれも酒の肴にビンから出して食べていた。

すこしなめさせてもらったけど変な味がして大人になるまでウニは

食べれなかった。


ズワイガニは市場から冷凍で買ってきていつも温泉旅館の冷蔵庫に入っていた。

ワタシはいつもヒロシにお酌していてそばにくっついているとたまに食べさせてくれた。


八目うなぎ生きているのをまな板に乗せさばき味噌煮にして食べる。

調理するのを見てるのでワタシは食べれなかった。


サザエのつぼ焼きこれもヒロシの好物であったが・・

ワタシは苦くて食べれなかった。


塩辛新鮮なイカで手作りしていた。

ワタシは匂いがいやで食べられなかった。


ズワイガニ以外は絶対大人になっても食べられないと思っていたのに

大人になったら全部好物になってしまった。


やはりヒロシの血が流れているんだな。ズワイガニ 塩ウニ



パパイヤ


ヒロシは第二次世界対戦の時ニューギニアに行ったそうな。


いつも戦友との思い出話に

戦争の悲惨さや惨めさなどは話したことがなかった。


話すことといえば海軍で軍艦に乗っていたとか

見たこともない食べ物を食べたとかそんなことばかり。

後酒をいくら飲んだかという自慢話に花を咲かせていました。


しかし戦争のさなかヒロシの写真の多いことといったら。

生きるか死ぬかの時に皆で記念写真?

不思議です。


子どものころヒロシがどこから購入してくるのか分からないけど

パパイヤやマンゴウを食べていました。


ヒロシはニューギニアにいた時に蛇や蛙を食べて過ごしたけど

パパイヤとマンゴウはご馳走だった。

パパイヤはおいしい。食べてみろとよく言われていたけど

私はあの毒々しいオレンジや匂いが嫌でした。


ヒロシが進めてもヒロシの前では食べたことがありませんでした。


その後大人になってパパイヤとマンゴウ好きになりました。


ヒロシが生きてるうちに一緒に食べてあげればよかったな。

遅いけど。

パパイヤ&マンゴウ見ると思い出します。

ヒロシの数々の運転についての失敗を思い出し

タツコに何気に電話でヒロシのことを振ってみた。


出るは出るはヒロシの失敗。


新事実発見

ヒロシは免許取り消し3回されていた。


ヒロシは田んぼの用水路に落ちたり

山に乗り上げたり

人の車にぶつけたりと数え切れないくらいの失敗つづき

しかし不思議なのはヒロシ自身もそうだけど

誰も怪我をしなかったこと。

タツコも本当に不思議がっていました。


これはタツコから聞いたエピソードですが

ヒロシが物損を起こし、ぶつけたうちにタツコが一緒に手土産持って

お詫びに行ったときの事。


約束の時間に出かけたのに相手は留守。


そのときヒロシはなんか用事で出かけているんだろうと悠々としたもの。

タツコはもう生きたここちしなかったそうです。

しばらくして相手がすまんすまんちょっとトイレにいてたもんでと現れた。


タツコは本当に申し訳ないと平謝り。

相手の人は人間なんだから間違いはあるよ。気にしないでと言ったそうな。

タツコはなんて奇特な人だろうと心から感謝したそうです。


それに比べてヒロシ悪びれずもせず堂々としていてタツコは本当に

はずかしかったと言っておりました。


まったく免許取り消し3回もしてまだ免許取らせてくれたんだから

あの時代はのんびりしてたんでしょうね。


酒を飲んでも運転をやめなかったヒロシ

ご多分にもれずいろんな違反をしてらしい。

その現場を見たこともしてるところに遭遇もしたことがないので

本当だったのか確かめるすべはないのだが。


何故、違反のことがわかるかといえば酒を飲んだときに

ヒロシの口から聞かされるのであった。


免許には持ち点が点数が少なくなると免許を取り上げられる。

と良く話していた。

そして今2点しかない。

今度捕まったら免許取り上げられる。とよく言ってました。

運良く飲酒運転では捕まっていないみたいでしたけど

よくスピード違反で捕まってたみたいです。

本当にスピード狂だったんですね。


昔は今みたいにどこも舗装していませんでした。

砂利道で車が通るとじゃりじゃり音がしました。


家の中にいてもヒロシが車で帰ってくるのが良くわかりました。

なぜなら猛スピードで来て急ブレーキかけで止まるからすごい音。

子供心に何であんな運転するんだろうと本当に嫌でした。


ヒロシは長年議員続けていたわけだけど議員がこんなに交通違反とか

しても大丈夫だったんですね。


本当昔はのんびりしてるというかおおらかというか。


そういえばあるときタツコが言っていました。

ヒロシは今免停で車に乗っちゃいけないんだと。

でもヒロシ普通に車運転してました。


あきれちゃいます。