夏が来れば思い出す♪・・・・


はるかな尾瀬♪・・・・いな下浜海岸。。



昭和30年代ヒロシは40代働き盛り。。。


3姉妹を育てつつ仕事もバリバリ。。。。



仕事が忙しければ普通子供に夏休みは家族で出かけるというのは


我慢しなさいと言うのが普通な時代でした。。



でもヒロシ思い立ったら吉日



夏は子供は海水浴に連れていかねば・・・・と思ったのでしょうか。。。



突然ヒロシ海に連れていってくれました。。



ど田舎村の子供で海に連れていってもらうなんて私たち姉妹くらいでした。。。



写真をみるとタツコちゃんと美容院へいってセット


私たち姉妹新調した洋服着て・・・・澄まして写真に収まっていました。。




なんと私なんてお気に入りの洋服に水泳帽かぶって写真に収まってました(苦笑)



なんというセンス何でしょうか。。。。。




でもそんな私かわいい。。。。






最近鏡むっを見る機会が極端に減った。。。


まぁ年齢えっを重ねたせいもあるのだが・・・・


本当の理由は・・・・・


タツコショック!だと思って見ていたら鏡に映った自分ショック!だった。。。



が~~~~ん!



私はあんなに太ってないし年取ってない~~~!といくらわめいても


現実は残酷。。。。

久々のブログ更新でございます。。。



ヒロシごめんね。。


忘れていたわけじゃないの。。。


ただ私、忙しかったのよ。



年を重ねたのか最近思い出すのは子供のころのこと。。



そう言えば昭和30年代あんなど田舎なのに何故か美容室があった。。


それもヒロシ美容室にお店貸していたんだよね。。。



どういういきさつでヒロシが美容室に貸していたのかは知らないが・・



子供の私は美容室が大好きで入り浸っていた。。



美容師さん自分の子供でもないのに美容室に子供入りびさせるなんて


さすがど田舎村ね。。


本当はきっと迷惑だったと思うよ。。



でも間借りしてるから言えなかったんだろうね。。。



この美容室の思い出はたくさんある。。。


そう言えば母タツコは1週間に2~3日髪の毛セットしてもらっていた。。


何処へ出かけるでもないのに。。。



不思議だ~~。



昔のタツコの写真写真みるといつでも髪の毛ちゃんとセットして写っている。。


素晴らしい。。


なぜ私はタツコににずずぼらなんだろうか。。。


ここ何年も美容室行ったことないしもちろん髪の毛セットに行ったこともない(苦笑)





今度6月にヒロシの法事があるからタツコに美容室のこと聞いてみよう。。



楽しみだ。。。



久々の更新です。


特攻

この間の休日公開された話題の映画TOKKOを見てきました。

オフィシャルサイト

http://www.cqn.co.jp/tokko/


ネットで映画館(渋谷シネ・ラ・セット)調べてゆくと ホールに人があふれ満席で入れませんでした。

なので整理券をもらい次回の回を見ることに。。。


中へ入ってびっくり・・

定員40名の映画館ってホームシアターとかわらない。。。

後ろの座席はゆったり座れるけど前のほうや脇は簡易椅子でした。。

画像もDVDを大きくして映し出すから荒い。。。

しかし立ち見も出る盛況でした。



ストーリー

ニューヨークで生まれ育った日系二世のリサ・モリモト監督は、
ある日、自分の叔父が特攻隊員だったことを知る。
彼女にとって“特攻”とは狂信的で愚かな行為でしかなかったが、
叔父をはじめ多くの元特攻隊員が当時のことを何も語らずに死んでいったことを知り衝撃を受ける。
彼女は当時の話を聞くために、日本にいる親せきや元特攻隊員らを訪ねる。




うちのだんな様は亡くなったヒロシが元海軍に所属していたと知ってから

私たち夫婦は日本が参戦した戦争映画をよく見るようになりました。


父親たちの星条旗・硫黄島からの手紙

太陽
パール・ハーバー

男たちの大和 YAMATO


など・・・

戦争映画を見るたびもう日本は二度と戦争をしてはいけないんだと思わずにはいられません。


この映画はドキュメンタリーです。


昔の貴重な映像や生き残った特攻隊の方々からのインタビューで成り立っています。

終戦間近日本が徐々に追い詰められて行く様子が淡々と語られてゆきます。

そのときの特攻隊の置かれていた状況。。

アメリカで見つかった戦闘機がアメリカ軍の軍艦に激突する瞬間の映像も入っていて

衝撃を受けます。

お国のために・・片道しか燃料を積ませてもらえず10代の優秀な若者は飛び立ってゆくのです。

特攻で亡くなった若者4000人・・・

そして生きているときは軍事秘密なので身内にも話さず・・

生き残った人々も固く口を閉じ自分は特攻隊と言うことを隠し通すのです。


見終わった後すごく疲れました。。。


そして亡くなったヒトシのことを思い出しました。


ヒロシは戦中の写真をたくさん持っていてアルバムに張ってありました。

兵隊さんは戦地でこんなに頑張ってるんだよと軍が家族に写真送っていたからだそうです。




この間実家へ帰ったときうちのだんな様からのリクエストで実家から借りて今我が家にあります。

その写真を見たときだんな様がお父さんは海軍の航空隊にいたんだね。

と言いました。

何でと聞くと少ないけど空母が写ってるし・・ゼロ戦も写ってるよ。

それにユニフォームもそうだと思うけど・・・

私は海軍にいたとは聞いたことがあるが・・航空隊にいたなんて聞いたことない。

そのときは気にもとめませんでした。



今回TOKKOを見て

うちへ帰って夫婦でヒロシのアルバムを何回も見直しました。

年代順に張られている最後のほうに何枚かのゼロ戦・空母艦・戦闘服を着た父。

集合写真に横須賀海軍航空隊の文字が・・・・


ヒロシはもう亡くなりなにも語ってくれません。

しかし私の子供のときの記憶の中に映画にも挿入されている同期の桜。。。

ヒロシは絶対に歌いませんでした。

歌謡曲が大好きでお酒を飲むとよく歌っていたのに何でって聞いたことがあります。

答えは

嫌いだから・・・


私たち夫婦の生まれる前に撮られた写真はいろんなことを語りかけていたんですね。。


夫婦で写真みながら・・ヒロシのことだんな様のお父さんのこと話し合いました。

この映画多くの人に見てもらいたいねとも。。

でも映画館は40名しか入れないし・・

大きな映画館で上映されることを願います。


そして今も世界で起こっている戦争やテロがなくなることを祈りました。

日本憲法9条は絶対守らなければならないと思います。


妹サユリは地元で結婚し長女ももうけ幸せな結婚生活が続くはずだったが・・・・


第2子が1900gの未熟児

入院を余儀なくされて・・・



サユリの旦那様は地方公務員で転勤族・・・


だからヒロシとタツコがサユリとこどもたちのが面倒を見ていた。


2ヶ月後サユリは無事退院を迎えることになりました。


退院の迎えはヒロシ


もちろん車でお迎え


しかし・・・


ヒロシなんと朝から酒飲んでて病院に来た時酒クサ~~~!


サユリ絶句!!!!


大事な娘と孫の迎えに酒飲んでですかぁ~~。

情けない・・・・・


後日サユリは語りました。


本当にあの時ほどヒロシを見損なったことはなかったと・・・


昭和63年頃のお話です。


ヒロシ少しは天国で反省してるかなぁ




マユミ21歳で結婚 相手は大学の職員

ワタシ22歳で結婚 相手地方公務員

サユリ26歳で結婚 相手地方公務員



ヒロシの人生今大人のワタシから見ると面白いんだけど

私たち姉妹はちゃんと見ていたのですね。


三姉妹結婚相手に選んだのがそろいもそろって堅い感じの職業。

ヒロシの人生完全に反面教師。


でもヒロシ娘たちの婿たちと酒交わすのが本当に楽しみであった。


しかし・・・・


娘たちマユミを除いて酒豪多分マユミも酒豪だと思うのだけど旦那の手前のまないだけ?


その婿殿たちそろいもそろって酒に弱いのでした。

これも反面教師?


ヒロシに飲め飲めといわれ飲むと次の日は完全に二日酔い

婿殿たちは次第に実家から足が遠のきましたとさ。



結婚してすぐマユミに長男が誕生しました。

ヒロシの孫です。

ヒロシは男の子を持つことが出来ずにいましたから

その喜びようとしたら表しようがありません。


しょっちゅう連れ歩いていたことを思い出します。

でもおじいさんになっても普段は寡黙

酒を飲みと大変身は変わりませんでいた。


そんなおじいさんを孫はどう思っていたのか本人に聞く以外ありませんね。


でも孫からみたヒロシは私には興味ありません。


ワタシから見たヒロシ。

父ヒロシが大事なのです。


それだけワタシも年取った証拠でしょうか。


ワタシにはまだ孫がおりませんが孫が出来たらヒロシの気持ちも理解できるのでしょうか。


家族写真          家族写真                     



マユミは長女実際は二女なんだけど・・・・・先の姉兄が亡くなってから生まれたから本当に大事に

育てられました。


ワタシは男の子のように育てられたのに姉マユミはお嬢様ぜんと育てられた。

高校も田舎市へ電車で通い、冬は雪で通えないと下宿生活。


商売をしてるこのうちから離れて暮らすマユミをワタシはうらやみました。

ワタシもいつかこの家を出て遠くで暮らすんだと誓ったものです。


マユミは考えていたんですね。私たちは3姉妹

皆嫁にいったらヒロシの後を継ぐものがいない。


マユミは考えていたのですね。

恋愛結婚で婿をGET。

それも婿養子!すばらしい。


マユミ21歳ワタシ18歳サユリ16歳の時でした。

ワタシとサユリはどういう経過で結婚に至ったかなどとは聞かされず

ただ結婚式に出席と手伝いを言い渡された。


結婚式は盛大なものでした。


どんな結婚式かといえば・・・・・


会場はヒロシの温泉旅館  会場となる玄関には結婚式場と立派な看板が設置されました。


一日目 挙式・披露宴   マユミ文金高島田  招待客  両家親族・仲人

二日目 披露宴  マユミ振袖       招待客  ヒロシの仕事関係・遠縁親戚・隣組

三日目 披露宴  マユミスーツ     招待客  新郎新婦職場関係・友人


三日目は途中から新郎新婦新婚旅行に車で(車にアメリカ映画よろしく缶からがついていた)出発。

新郎新婦なしで披露宴は夜まで続いた。


一日目こそワタシとサユリ振袖着て挙式に座っていたけどその後は宴会の手伝い。

三日間も宴会の手伝いは大変であった。


しかしヒロシは三日間常に上機嫌であった。

よっぽど婿をもらったのがうれしかったんでしょう。


ワタシとサユリはこんな結婚式絶対嫌だよね、とひそかに話しておりました。


三日間の娘の結婚式はヒロシの人生で最初で最後に結婚式でありました。


ある日ヒロシが庭で大工仕事をしているなにが出来るのか

ワタシは興味津々。


ヒロシに何を作っているのかきいたら


「シンダイ」


しんだい?それゃなんぞや???


なんだかよくわからいけど男の子のように育てられているのだから

当然ノコギリ持ったり釘打ったりヒロシのそばで日がな1日すごしました。


出来上がってもでかいテーブルのようで何に使うのか想像もできなかった。

ある日ヒロシとタツコの寝室に行ったらなんとその台の上に布団が敷かれてるではないか。

それもふわふわ。

もうはじめてみるベッドに興奮!!

布団の上で跳ねまくりはずみで落っこちてしまいました。


あの時代マットレスなどと言うものはなかったが、

ヒロシはマットレスの代わり「しべぶとん」を使っていました。


まだ貧しい時代

しべ布団と言うのはもみをとった後の稲を布団側に入れて作るのです。

秋になると新しい稲で作られた敷布団は温かくて太陽の香りがしました。


アメリカンナイズされていたいたヒロシは寝台(ベッド)を作っていたんです。


昭和30年代田舎にはベッドなるものをうってる店はなかったのだ。



今でこそカレーを作るっていうのは簡単。

野菜炒めて水を入れ煮立ててルーをいれるだけで

こどもでも簡単に作れちゃう。


私の子どもの頃はまだルーなんていうものは売り出されていなかった。


しかしその頃ヒロシはカレーを作ってくれた。


材料


鶏肉

鶏がらスープ

たまねぎ

ニンジン

ジャガイモ

SBのカレー粉

小麦粉

油 

コショウ


ワタシは見よう見真似で小学校2~3年の時作ってみた。


この作り方はヒロシのレシピである。


まず鶏肉をなべでいためる。

そこに切った野菜を入れさらにいためる。

鶏がらスープを入れ、ことこと煮込んでいる間にルーを作る。


フライパンに油は敷かずに弱火で小麦を煎りその後カレー粉をくわえ

小麦色になるまでじっくり煎る。


小麦色に変わったら野菜を煮込んでいるスープを少しづつフライパンに入れ

だまが出来ないようにベースト状に練る。


このときが本当に力が要ります。

汗をかきながら一生懸命しゃもじでかき混ぜた記憶があります。


だまのないペースト状のカレールーが出来あがったら煮込んでいるなべに

入れかき混ぜながらコトコト煮ます。途中塩コショウして味を調えさらに煮込んで

出来上がり。


仕事から帰ってきたヒロシとタツコおいしいおいしいと食べてくれました。

今思えば結構だまができていたり粉っぽかったと思うのだけど

親に誉められるということは本当にうれしかった。


今料理好きなのはやりヒロシの影響なのかも・・・・