セリーヌ・ディオンの「愛の讃歌」パリの街に舞う | 加納有輝彦

セリーヌ・ディオンの「愛の讃歌」パリの街に舞う

セリーヌ・ディオンの「愛の讃歌」パリの街に舞う

少し前、たまたまセリーヌ・ディオンのドキュメンタリー映画『アイ・アム セリーヌ・ディオン ~病との闘いの中で~(I Am: Celine Dion)』 (2024年)をネットで観た。

 数年前から100万人にひとりの確率で発症する難病スティッフパーソン症候群(SPS)にかかったセリーヌ。
再びステージに立つことを目標に、リハビリに励むセリーヌの姿は痛々しかった。

SPSとは中枢神経系の病気で、筋肉が痙攣し、最終的には全身の筋肉が動かなくなるといわれるものだ。ドキュメンタリーの中で、発作?に襲われた姿も赤裸々に映し出されていた。痛み、苦しみに涙するセリーヌは、まるで余命いくばくもない老婆のようにも見え、残酷であった。

ドキュメンタリーの中で、「声が私の人生を導いてきた」と話すように、そしてセリーヌには歌うことが全てであった。

 そんなセリーヌが、パリ・オリンピックの開会式、エッフェル塔の上で、「愛の讃歌」を熱唱し、フィナーレを飾った。セリーヌのオリンピックでの復活は、噂されていたが、正式には発表されていなかった。

 ドキュメンタリーで闘病の姿を見ていただけに、噂?ではあったがセリーヌの復活を見たくて、パリ五輪の開会式を見た。

 聖火が灯され、気球が上昇し、そして愛の讃歌の前奏が流れると、エッフェル塔に場面が切り替わり、そこにセリーヌの姿があった。

 圧巻の歌唱だった。あの残酷な老婆のような姿を見ていただけに、涙が流れた。

パリの歴史的建造物を舞台とし、セーヌ川を舟で入場、見た事のない開会式。
多数のダンサー、デザイナー、アーチストが登場し、芸術の都といわれるパリの面目躍如。そしてフィナーレのセリーヌの「愛の讃歌」

 芸術の都パリにふさわしい開会式に見えた。(ジェンダーフリーの演出は見ていないので、そのあたり批判が出るかもしれませんが)

ふと、東京オリンピックの開会式に「立腹」したことを思い出した。

コロナ禍の最中で行われた無観客オリンピック。気の毒な話であったが、開会式で各国選手を迎えたスタッフの貫頭衣のような囚人服のような奇妙なデザイン(頭にタケコプター)、そして適当な動き、なぜか私は、その非洗練さに立腹した。

どうやら立腹したのは私だけではなかったようで、識者と言われる人々の間でもあのデザインと適当な動きを批判していた。あれだったらあの出迎える人々は居ない方がよかったと。

 そして、現在、大きな批判に晒されている大阪万博。

私は、いや、多くの人々が、あのミャクミャク君のデザインを気味が悪いと思った。

 パリ五輪が、芸術の都パリそのものを舞台に繰り広げられる。

 かたや、大阪万博は、メタンガスが湧きたつゴミ捨て場、夢洲。賭博場と連携させるため。

いま、子供たちが無料招待されているが、多くの親たちが、
メタンガスが湧いているような危険なところへは行かせられないと反対の声を上げている。

妖怪天国日本の面目躍如というところか。

 芸術性の高いセリーヌの歌(復活)に涙すると同時に、妖怪ミャクミャク君の妖怪性に涙したい気持ちにもなった。(笑)

 

 

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