田母神氏の政策 田母神氏の人格 | 加納有輝彦

田母神氏の政策 田母神氏の人格

自民党を創った男、三木武吉氏{1884年(明治17年)- 1956年(昭和31年)}の逸話は有名だ。私も過去、紹介したことがある。

選挙中において、ライバル候補が「三木は、妾を4人も囲っている。けしからん奴だ。」と批判した。

すると、三木は反論した。
「なお、正確を期さねばならんので、先の無力候補の数字的間違いを、ここで訂正しておきます。私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。(中略)
ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」

この言葉に嘘はなかったという。三木は、一度、縁ができた女性は最後まで面倒を見続けていた。

 もう現代では通用しない話であるが、当時の新聞記者は一般論として「政治家の下半身は問わない。」というのが暗黙の了解であったらしい。

 これに関しては、大川隆法総裁もかつて語られた。
「当時は、地方出身の政治家が、本妻は地元を守り、東京での政治家の身の回りのお世話をする『東京妻』の存在がいた。これに関しては、いわば暗黙の了解があった。」と、こんなニュアンスの事を語られたことがある。

 これは、動物的本能を容認するというより、国事のためにやむを得ないこと、つまり、当時は政治家にとって「戦争」のプレッシャーが今より甚大であるゆえ、正妻、妾総動員で一政治家を支える、すなわち国を支える、そんな時代だったかもといえば、現代では時代錯誤、男の身勝手と一掃されるでありましょうが。三木氏に関して付言すれば、5人の妾を終生面倒を見たことは、単なる動物的本能の充足だけではない男の「流儀」を見る。

まあ最近では、自民党のデリヘル常習犯スキャンダルで辞職した宮澤博行元衆議院議員に男の「流儀」は果たしてあったのか。しかも東大法卒、国家を担うべき人材。

 さて、前置きが長くなったが、今回の都知事選に目を転じてみたい。

田母神氏である。

 前置きの文脈から氏の「愛人の存在云々」を主に語るべきかもしれないが、今回は、平成26年(2014)の都知事選における公職選挙法違反(運動員買収)で有罪(懲役1年10月、執行猶予5年)になった件。法廷での田母神氏の発言を振り返ると、私的にはそこに「サムライ」の姿を見ることができなかった。私が言うサムライとは、「間接責任を己の責任として受け止め、潔く刑に服す」ということであろうか。

 一番、不信感を持つのは、「もう政治にはかかわらない」と言った田母神氏が、有罪判決の対象ではないが、自らの政治資金管理団体の約5500万円の使途不明金に関して、未だに不明のまま放置していること。10年が過ぎた。

 これは、一般支持者から集めた尊い浄財であるが、消えてしまったのである。放置している理由は、明らかにできないところに流れていると言われても致し方ない。

 さて、田母神氏の愛人問題には踏み込まないが、このような醜聞があるのだが、今回の都知事選候補の中では政策が優れているゆえ、田母神氏を推すという人もいる。

 〇政策がいいので、過去の個人的スキャンダルは、この際、目をつむる。
 ×いや、政策の前に、人間として信頼できない。

田母神氏に関しては、前者の立場を取るのが例えば参政党の諸君、後者の立場の急先鋒が、水島総氏である。

 私個人的には、どちらかといえば、後者である。
 
 岐阜県では地方の首長、議員のセクハラ、パワハラ騒動が集中した。池田町、岐南町、美濃加茂市・・・。

生きるか死ぬかの戦時において、日夜、国民、市民のために命を懸けて奔走している議員さんの「下半身問題」ならいざ知らず、日ごろ、大した仕事もせず安穏とした生活を送っている御仁の「下半身問題」は許されないのは当然。

 このような文脈からして、私は、後者の立場をとる。ましてや、田母神氏は、「もう政治にはかかわらない」と言った上で、未だに「5500万円の使途不明金」を放置していること。

 どうしても私はこれを看過できない。

まあ、東京都民でもない私がとやかく言う必要はないが、個人的所感である。
賛否両論あることは承知している。

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