年金の目減りなどくそくらえー――――!!! | 加納有輝彦

年金の目減りなどくそくらえー――――!!!

 

邂逅

 

 私は昭和35年生まれ。

昭和35年生まれは、64歳から一部年金が支給されます。もちろん、申請すれば、60歳から前倒しで受給を受けられますが、ほっておくと、誕生日の三か月前に年金機構から封筒が送ってくるわけですが、地元の銀行さんから連絡があって、申請の代行をお願いしました。面倒くさいから(笑)。

 担当の説明を受ける最中、送られてきた書類をマジマジと眺めました。(笑)

 

そう、私の保険料納付の記録、歴史です。ひと世代前のサラリーマンなら、学校を卒業して、終身雇用で、その保険料納付の記録の欄には、一つの会社名が記載され、納付機関が、40年とか、そういう人が少なくなかったと思います。つまり転職をしていない。
 

 ところが、私の記録を見ると、波乱万丈?たぶん、平均的サラリーマンより納付主体の企業、組織名が多い。(笑) 他人事のように眺める。「この人、なかなかの波乱万丈の人生ですね。」って。(笑)

 

しかも、厚生年金と国民年金が交互に入り組んでいる。ほっとしたのは、一応、ずっと繋がっていた事。
 

そういえば、ふと思い出した。
 私が国政に立候補を決意して、会社を辞めたとき「エイヤーで決断したと思うけど、将来、年金をもらう時になると、しまった、会社辞めなきゃよかったって後悔するかもしれないよ。」ってある年配の支援者が私に仰ったセリフ。

 なるほど、サラリーマンとして勤め上げた場合と比べれば、支給額が下がる。

 

 さて、年金の納付の記録欄に、「幸福の科学・大川隆法」と印字してあるのを見て、なんともいえない気持ちになりました。こんな、銀行の、この世の世界のど真ん中の事務的書類の中でみる「大川隆法」という御名は、恐れ多くも究極の場違いのような、もったいないような気持ちになりました。

 

ほんの一時期でしたが、私は出家しておりまして、当時、幸福の科学は、宗教法人ではなく、人格なき社団というような組織だったと記憶しています。ですから、通常株式会社などで、当時の社長の名前などは出てきません。

何々株式会社と印字してあるだけです。

 

 人格なき社団法人だったからでしょうか。大川隆法と印字してあるのです

主と共に、同時代を生かさせて頂いたんだ。しかも、こんなところに主の御名があるなんて、正真正銘、私は、同時代を生かさせて頂いた、そして今も生きている。

 昭和のバブル時代に大企業に就職して、最初に先輩から聞かされた目標。とにかく20年は辛抱して勤めなさい。そうすれば、厚生年金と共に、企業年金、三階建ての企業年金の支給の権利が得られる、当時の大手の企業年金ときたらべらぼうにいいと聞かされていました。

 そんなアドバイスも聴いてはいたが、勤続9年で出家。(笑)

最初の大川主宰(当時)のお言葉。「サラリーマン、どうせいつかは辞めるからね。(笑)」主宰先生も商社を退職、空手にして立たれて間もないころ。

 

 辛抱して20年は勤めなさいという訓示はどこへやら、わすれ去ったのでございます。(笑)

 

まさか、今、が来るなんて。

 スプロール現象よろしく私の支給予想額を見てため息、ふと、無駄な空想がよぎる。あのまま勤めていたら。今頃、三階建ての年金が。(笑)

 

でも、幸福の科学・大川隆法という文字を見て、「わが決断に後悔なし」とこれは本音で言えます。年金の目減りなんてくそくらえ!!!
 
 あと、私が大尊敬している大先輩が、事情があって「無年金」
でも、いつもいつも颯爽と元気よく快活に、伝道に、そして仕事に、頑張っておられるお姿を見れば、年金の目減りなんてくそくらえ!!!と少なくとも空元気が出てまいります。

 

 空元気も繰り返し、繰り返し、自家発電していれば、本元気になるというもの。
まあ、私の経歴なんぞ、大したことはない。

当時の幸福の科学の出家者の経歴を見れば、全員が中途採用、医師、大学教授、総合商社マン、キャリア官僚、大手電機メーカー云々、皆さん、人がうらやむような職を捨てて出家してこられた。確かに出家であった。

 この前、釈党首が、「棺桶の蓋の閉まるまで・・・」と古風な表現を使われ、自らの決意を語られたが、永遠に瑞々しく、永遠に前へ。

 

 

 

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