娑婆を生きる政治家の鑑 | 加納有輝彦

娑婆を生きる政治家の鑑

『離党勧告』を粛々と受け入れたかにみえる世耕弘成・前参院幹事長。

4月4日、処分には全く不満はないとし、『明鏡止水』の心境と胸を張った。

 


 一応、信仰を持つ人間として、私自身、そして仲間たち、法友たちとの会話の中で、「明鏡止水の心境にある」と聞いた事は一度もない。(笑)
 
 信仰を持つ人間としては、自らの至らなさを反省することは日常的に多々あれど、また、そうした至らない自分でありながら、仏から悟りの可能性を許され、鼓舞されている事に感謝に堪えない日々である・・・というところが偽らざる心境である。

「明鏡止水の心境」とは、辞書によると
一点の曇りもない鏡や静止している水のように、よこしまな心がなく明るく澄みきった心境を指す。
私的には、一瞬、瞑想などで小恍惚感を味わったことはあったと思いますが、あくまでの内心、心の王国の部分のことであって、人様に公言、アピールするような類のものではないと思う。

しかし、政治家にはその「押し(アピール)」が必要なのであろう。                 

また、近畿大学の理事長でもある世耕氏は、4月6日、近畿大学の入学式でこのように語った。
「変化の激しい社会における自分の立ち位置をしっかりと把握してもらって、立派な社会人として近畿大学を巣立っていただきたい。」

 これには、ネットで批判が巻き起こった。
「自分の立ち位置を把握していないのはお前だろ」近畿大の教職員の間で、世耕氏が理事長職にふさわしくないと署名活動が行われている。

 公職選挙法違反の学歴詐称がかなり濃厚であり、また公約を何一つ実現していない小池百合子都知事が、平気の平左で権力の座に居座り続けている。

 世耕氏にしろ、小池氏にしろ、この圧倒的神経の太さこそ、政治家として生き抜く資質なのかもしれない。
魑魅魍魎が跋扈する永田町、政治の世界で生き抜くことは、市井の善人ではとてもとても務まるまい。ストレスであっという間に病気になってしまうだろう。

 



 世耕氏、小池氏の、ともども毛の生えた心臓をご尊敬申し上げる次第である。

一方で、この神仏を恐れぬ「毛の生えた心臓」は、海千山千の蠢く娑婆を生き抜くにはまことに強い武器であろうが、いざ、地上を離れたあの世の世界において、閻魔さまの赤鬼諸氏のお眼鏡にかなうかどうかいささか他人事ながら心配申し上げる次第である。

政治家にとって言葉は武器である。

現代は、政治家にとってはったりは武器である。

 

 

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