神の変化球 | 加納有輝彦

神の変化球

 

神の変化球

 

 つらつら主の説法をふりかえってみる。

しばしば大川隆法総裁は、「変化球」を投げられ、凡庸な私の予測を裏切り、驚かされた。

その最大のものは、ゴールデンエイジであろうか。

私は、能天気な浅薄なバラ色の未来をイメージしていた。(笑)

しかし、よくよく検証すれば、驚くにあたらないのかもしれない。

主は、ゴールデンエイジは、私たちの涙と共にあると説いておられたゆえ。

 

さて、凡庸な頭脳で、これ以上深入りしても無意味なのでこれでやめます。

 

変化球といえば、

 かつて東京ドームの大講演会で、大川総裁は、釈迦僧団(サンガー)の運営は、依止の阿闍梨の役割等、政治的にいえば「共和制」、「共和政体」であったと説かれた。(幸福実現党の立党前、比較的初期の段階)

 

 これは、当時、教祖を専制的君主とみなし、大教団になりつつあった幸福の科学を攻撃してやろうと手ぐすね引いていたインテリ、ジャーナリスト等を面食らわせたに違いない。

 

釈迦教団、僧団は共和政体であった。

 

 一般的には、共和制にシンパシーをもっている国立一期校出のインテリ、ジャーナリストの面々にとっては、大変化球であったに違いない。
 

主の魂は、ギリシャ精神の淵源であるわけで、そこにギリシャの都市自治体、自由都市の政治形態の歴史が内包されているのである。

 

 そういった文脈で、主が立党した幸福実現党が、一時期、ウルトラ右翼とのイメージを与えた事があったとしたら、それは本意ではない。

 

 主が投ずる「変化球」の根底には、主の「大教養」、主の魂が東洋思想、西洋思想の淵源である事実が流れていると思う。

 

 さて、今、主が大いなる「変化球」を投じておられるとすれば、このような言い方は不遜であると思いますが、私の凡庸な頭脳では、到底対処できないと断念し、おのずと謙虚さが生まれてまいります。

 

私は何も知らない。
 

 

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