指揮官先頭の精神とペルソナ | 加納有輝彦

指揮官先頭の精神とペルソナ

本当に偶然だった。
何にも事前に情報を得ず、たまたま観たのだった。

『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』
~その男は、死を覚悟して沖縄の地を踏んだ。
玉砕こそ美徳、という考えに抗い、一人でも多くの命を救おうと力を尽くした官吏の記録~



私の裡で「呪○に関わるある顛末」を認識した翌日だった。その衝撃の余韻を抱いたままそのドキュメンタリーを観たのだった。

ある人物が島田叡氏を回想し、その人となりを語った。

「指揮官先頭の精神」の人であったと。

「指揮官先頭」という言葉を聞いて、条件反射的にある記憶が蘇った。

35年も前に聞いた故・南原宏治氏の檄である。

「諸君!ギリシャ精神というのは指揮官先頭精神なんだ!!」




あれから30年以上の時が過ぎ、確かに、ヘルメス神の側面を持たれた主なる神は、常に「指揮官先頭」の方であった。決して後方で隠れておられる方ではなかった。

日本の國體の象徴の奥に隠れたる歴史上、アンタッチャブルの前人未到の闇に対しても、指揮官先頭の精神を発揮され、命をかけて戦われた。

 生きろ・・・を観て、予期せぬ感慨に浸った。

そして映画が終了し、俳優等を紹介する字幕が流れた。

語り「津嘉山 正種」・・・・

 本編上映中気づかなかった。



 私の裡で、何か繋がるものがあった。

ある意味、島田叡氏を語る視線には本土中枢へのレジスタンスの視線がある。通俗的にいえば沖縄左翼の視座がある。そして津嘉山正種氏もおそらく一般的にはその範疇に見られる方であろうと思う。ゆえに、そのような方が、昨年、幸福の科学の映画「二十歳に還りたい。」で主演されたことは、一部の方には驚きをもって認識されたであろう。

 しかし、日本の國體の象徴の奥に隠れたる歴史上、アンタッチャブルの前人未到の闇が明かされた今、違った地平が見えてきた。

 津嘉山正種氏が「遺作となってもいい。」と「二十歳に還りたい。」に主演されたのは、映画のテーマの「無償の愛」に共感されたからだという。

津嘉山氏が『沖縄の魂ー瀬長亀次郎物語』をひとり語りされるのも、島田叡氏の映画で語りをされるのも、きっと民衆に対する無償の愛を発揮した人間を語っておられるのであろう。

下々の者に良きにはからえと、奥の高座に隠れ、ペルソナを外す貴族階級には果たして「無償の愛」の発露があったのであろうか。

指揮官先頭・・・そこに無償の愛の発露を見たのではないだろうか。

通俗的には、この世の常識的には、祖国を喪失したと見られるかもしれない私の裡で、まったくあらたな地平が誕生しつつある。いわゆる右翼的祖国観に拘泥されることのなかったであろう津嘉山氏に教えて頂いた点も多しといえよう。

現在も、主なる神は、指揮官先頭で戦っておられる。

※コメントを頂けることは大変嬉しく思いますが「呪○に関わるある顛末」に関する具体的書き込みはご遠慮頂けますよう格段の配慮をお願いする次第でございます。

 

 

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