「祭政一致」が正見 「政教分離」が邪見 | 加納有輝彦

「祭政一致」が正見 「政教分離」が邪見

「祭政一致」が正見 「政教分離」が邪見 ~米国事情から

あるハッピーサイエンスの在New Yorkの知人から、非常に示唆に富むお話しを頂いた。

2016年から、特に2020年から、まるで内戦に突入するかの如き、米共和党と米民主党の深い溝(分断)を心あるアメリカ国民はどのように受け止めたのか。その受け止め方、認識の変遷を四段階に分けて説明頂いた。

① 当初は、政治的戦争 political war と言われていた。
② そこから徐々に言葉が変わってきて、文化的戦争 cultural war と言われ始めた。
③ それからさらに進んで、思想戦 ideological war と言われるようになった。
④ そして、最近は霊的戦争 spiritual war と言われている。

 理由を考えてみる。
やはり「政治では解決できない何かある気がする」
さらに言えば「文化的なもの」では解決できない、
「イデオロギー」でも解決できない。
これはもう「霊的な戦い」なんだと言うところまで一般の方々が認識しているようだ。

 大川隆法著「地獄の法」の第5章に、「地球の最終危機」という言葉がある。一部米国人は、「地球の最終危機」という言葉に敏感に反応するという。

米国人は“Armageddon””(ハルマゲドン)という言葉は聞きなれているが、”The Final Crisis of Earth“(地球の最終危機)と聞くとハッとするという。

宗教と政治は、inseparable(分離不可能)分けられない。「あたりまえ」のこと。
「あたりまえ」以外の言葉が出てこないとH氏は言う。

 「祭政一致」が正見なんです。

H氏の論点に立てば、言論を発信している方の立脚点がどこにあるのか。
 
 ・政治的立脚点なのか。
 ・文化的立脚点なのか。
 ・イデオロギー的立脚点なのか。
 ・霊的立脚点なのか。

もちろん、言論には、政治的観点、文化的観点、思想的観点、そのどれも欠かせないものである。ただ、最後の、霊的観点に立脚しているかどうか。ここが当然問われることになろうと思います。

 現代の諸問題は、もはや霊的戦いであって、政治的にも、文化的にも、イデオロギー的にも解決できないのか。霊的に「解」を求めるしか、残された道はないのか。

 宗教政党の存在意義を改めて認識した次第である。

 

 

 

 

 

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