狩猟民族と農耕民族 | 加納有輝彦

狩猟民族と農耕民族

狩猟民族と農耕民族

昨日に引き続き、サイモン・フォビスター氏の発言について考えてみたい。

「私たち(オジブエ族)は狩猟文化の出身です。
マジョリティーの社会についての私の印象は、その価値観が農耕文化に由来しているということ。
私の民族と社会は狩猟文化だ。そこにひとつの基本的な違いがある」。

オジブエは常に狩猟民族であった。そのような文化にとって、空間は最も重要である。狩りをし、漁をし、罠を仕掛け、家族の生存を確保するために自然の恵みを十分に得るためのスペース、面積、余裕。それが狩猟民族の最優先事項である。

1963年、彼らは広々とした旧保護区から現在のグラシイ・ナロウズへの移転を余儀なくされた。移転当時、ほとんどの村人が神聖でないと考えていた場所だ。

元酋長のアンディ・キ・ワゴン
「どの保護区の人々も、政治家に煩わされることなく、植物園や罠、狩猟で動き回るスペースがたくさんあって、もっと自由だった。それぞれの家族がそれぞれの生き方をしていた。一番近い隣人でも1.4マイルほど離れていたと思う。
この新天地にはないものだ。
新居住地はお互いの距離はとても近い。家から家へ、玄関先から隣人と話すこともできる距離。
狭すぎて、自分の子供や他の子供たちが罠にかかったりする。昔の人々はかなり自由だった。罠を仕掛けたり、狩りをしたり、釣りをしたり。
生活保護も何もなかったし、大変だったけど、今より幸せだった。」

エール大学アメリカ研究学部長のカイ・エリクソン博士は、報告の中で、隣人との距離をどの程度に保つべきかについては、それぞれの民族、それぞれの文化に独自の感覚があると述べている。

個性を守るためには、どれだけ広いプライバシーが必要か。
隣人同士の間隔近くなった時、皮肉なことに、隣人関係が崩壊するという結果になる。
オブジエ族の人たちが移住させられたとき、まさにそれが起こった。コミュニティのレイアウトは、白人の文化的モラルによって決定された。
逆説的だが、親密さはコミュニケーションを減退させた。そして、一族間の憎しみや強い縁故主義が生まれた。

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白人が地域のレイアウトをし、オブジエ族の隣人関係が崩壊したわけである。

狩猟民族が、広いスペースを必要とし、農耕民族のスペース密度が濃い。

そういえば、20歳前後の当時読んでいた雑誌BIG tomorrowに、渡部昇一氏が、「騎馬民族と農耕民族」についてシリーズで書いておられたと記憶している。騎馬民族と狩猟民族がどのくらい重なるのか分からないが、当時、あまり興味がなくてあまり真剣に読まなかった事が悔やまれる。(笑)

 狩猟民が、ブロイラーの如く移住地に閉じ込められた。ブロイラー小屋では、政府の手厚い生活保護がある。しかし、元酋長のアンディ・キ・ワゴンは、いみじくも言った。

「生活保護も何もなかったし、大変だったけど、今より幸せだった。」

これは逆に、「生活保護受けるようになり、楽になったけど、昔より不幸になった。」という意味にとれる。

 これは真の保守主義は、自助努力精神が要であるということに通ずるのであろうか。考えさせられる論点である。

 

 

 

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