義人・サイモン・フォビスター氏に捧ぐ | 加納有輝彦

義人・サイモン・フォビスター氏に捧ぐ

義人・サイモン・フォビスター氏に捧ぐ


短編映画「Grassy Narrows -A People Between-」(1979:宮松宏至監修)の中で、若きオジブワ族のリーダー、サイモン・フォビスター氏がインタビューを受けている。(オブジワ族は、1963年、政府から強制的移住させられた。15年後のインタビューである。)
 

 

「私たちは狩猟文化の出身です。私たちは、あなた方(白人)のやり方には比較的なじみが薄いのです。
それがグラシイ・ナロウズでは、15年という短期間でマジョリティーの社会に適応しなければならなかった。
15年では無理だ。
 (オブジワ族の固有の信仰も転向させられた。)
 ローマ・カトリック教会は先住民(オブジワ族)を誤解していた。オブジワ族の医療や特定の儀式を誤解したことで、私たちの宗教は異教の実践(ペイガニズム)であるという烙印を押された。
彼らは、私たちの宗教が彼らの宗教と似ていて、ひとつの崇高な存在を信じ、人間として共に生きなければならないということを知らなかった。」

サイモン・フォビスター氏は、ローマ・カトリック教会から否定された彼らの固有の信仰は、実は、彼らと同じく崇高な存在を信じ、人間が融和し生きていかねばならないと、決してペイガニズムと呼ばれる異教ではないと、彼らの誤解を語った。

※ペイガニズムとは、4世紀の初期キリスト教徒が、ローマ帝国で多神教やユダヤ教以外の宗教を信仰していた人々に対して初めて使った言葉である。多神教や異教徒の一神教の信仰を広く包括して指し示す。


私は、当時まだ二十代前半であろう、若きリーダー、フォビスター氏の言葉に誠実さを感じた。

さて、短編映画「Grassy Narrows -A People Between-」が撮影された1979年から40年後、2019年、フォビスター氏は水銀中毒が原因で63歳の若さで亡くなった。

そう、グラシイ・ナロウズの人々は長年水銀中毒に苦しんだ。政府は、長年放置した。フォビスター氏は太古の昔からそこに住んでいた人々をまったく顧みず、産業界が投棄した水銀によって汚染されたワビグーン川を浄化するために生涯をかけて闘った。

そんな水銀中毒に苦しむグラシイ・ナロウズの人々と共に、1970年代~1980年代、10年以上生活を共にしたのが宮松宏至氏であった。宮松氏は、それに先立ち、水俣でも写真家ユージン・スミス等と共に活動しておられた。

 フォビスター氏の葬儀の模様や追悼式の模様がネットにアップされている。

最晩年のサイモン・フォビスター氏のインタビュー動画がいくつかネットにアップされている。


 

 

それを見て私は思った。

 若き日のフォビスター氏の誠実さは、変わることなく生涯を貫かれていた。
 誠実さを貫いた人の風格を感じた。

彼は義人なのだと思った。

 義人とは、国籍を超え、民族を超え、繋がっていると強く確信した。

「正しき心」で架橋された連帯への可能性、
この世界性、普遍性は、現在、忌み嫌われているいわゆるグローバリズムとは無縁のものだ。

 畢竟、「正しき心」を架橋する力の源泉は、エル・カンターレ信仰であると確信を深めた。それが証拠に、グラシイ・ナロウズの義人を援助した唯一無二の日本人・宮松氏は、後年、必然的に、エル・カンターレ信仰者となられた。

 歴史の必然である。

義人、サイモン・フォビスター氏に捧ぐ。

※写真は、葬儀の模様、若き日、そして最晩年のフォビスター氏

 

 

 

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