蓮實重彦氏の小川紳介評 | 加納有輝彦

蓮實重彦氏の小川紳介評

コーヒーブレイク

小川プロの記録映画「どっこい人間節」について投稿したところ、田中司さんから、以下のようなコメントがございました。

「蓮實重彦先生が1993年に『小川紳介の映画を語る』という小川の追悼講演をされており、それが著書に収められていて、その中で小川を非常に高く評価されています。たとえば冒頭のほうに『事実がこうあったということを分析するための脳、それが小川紳介はおそらく日本の映画作家の中では最も冴えていたという感じがします』とあります。」

 蓮實 重彥氏は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。第26代東京大学総長、田中さんが大学時代師事した先生ですね。

さて、
 小川紳介氏が、瑞浪市の釜戸に疎開していたことを知り、足跡を知りたくて図書館で関連本を借りて読んでいました。

 すると、小川氏自身の講演録にこんな事が書いてありました。

ずいぶん昔の映画ですが、今村昌平監督の大ヒットした『楢山節考』の一場面についてです。1983年カンヌ国際映画祭で、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」と争って、大逆転で、『楢山節考』がパルム・ドール最高賞を受賞したことで話題になった映画でもあります。

 「齢70を迎えた老人は『楢山参り』に出なければならない」という口減らしのための厳しい掟がある寒村の物語ですね。

 そんな貧しい寒村の田んぼで、左トン平演じる利助が、面白くないことがあって、田んぼの稲を引き抜いて投げつける場面があります。

 その場面について、小川紳介氏は、こう語っています。

「僕は、稲のことも多少わかるんですけど、その(映画の)稲を見ますと、どう考えても反当り八俵や九俵以上穫れるはずの稲なんです。しかもそれが今の(現代の)稲なんですよ。

 今の稲は短稈(たんかん)と言いまして稲丈が全体に短い。茎を伸ばさないで、その養分を穂にまわしてたくさん実らせるという、昭和30年代以降になって発達した稲作の技術の結果なんです。

 そんな稲が(映画に)写ってて、あの役は左とん平だったかな、彼が何か面白くないことがあって、その稲を引っこ抜こうとする場面があるはずです。

 引っ張ってもそれがなかなか抜けないんですね。

ということはこの稲の根はしっかり土中に張ってるってことで、そして根がしっかり張ってるってことは、稲がそれだけ養分吸収できるわけですから、土がいいってことになるんです。土がいいってことはコメがたくさん穫れるということなのであって、だったらそんなにいい土の、いい稲が育つようなところでどうして人が人を殺すこと(口減らし)を納得して見ていられますか。

 話の基本的な背景がまるっきり信じられない。そいうこうことが映画にはあるんです。」

 これを読んだとき、蓮實重彦先生の『事実がこうあったということを分析するための脳、それが小川紳介はおそらく日本の映画作家の中では最も冴えていたという感じがします』という小川評がものすごくリアリティーを持って感じられました。

 まあ、おそらく『楢山節考』のその場面を観て、良質な稲を観て、興醒めするような人は、熟練したお百姓さんならいざ知らず、映画関係者で果たして何人いたのだろうかと思うと、「日本の映画作家の中では最も事実分析が冴えていた」という評が納得されます。

 この話を妻にすると、時代劇の中で、ろうそくを灯す場面がしばしば出てくるが、和ろうそくというのは、光が細長いというのですね、今、市販されているろうそくと比べると。

 和ろうそくの細長い光を映す時代劇と、そうでないものがあると言ってました。妻は時代劇通でございまして、(笑)。

なるほど、映像の細部というのは、大変なものなんだと思いました。

 ささやかな発見でございますが、ちょっと書き留めておきたいと思いました。

※1992年名古屋で開催された「小川紳介全作品追悼上映会」において行われた蓮實重彦先生の「小川紳介の映画を語る」を読みました。田中さんが紹介されたものと同じかどうか判りませんが、非常に面白いです。その内容を理解するために、小川氏自身の文章も少し読んでます。また感想を投稿させて頂きたいと思います。
 ちなみに、蓮實重彦先生は、特に「ニッポン国古屋敷村」を評価されておられるようですね。

 

 

 

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