信仰と希望と愛
国際局の世界の人々の祈りの姿を拝見していると、どんなにか現代の困難に答える新しい「世界宗教」が地球上で必要とされていることかと想う。
お顔をぼかさないと危険が及ぶ環境にある人の祈りの姿を見れば、なおさら思いは募る。狂おしいほどに。
厳しい環境にある人々の救世主を呼ぶ声は、ある意味、ゆでガエル状態の日本人より、ピュア―で、透明で、切実かもしれない。
主よ、地上にあなたの臨在が必要です。
「世界宗教」と言う時、昨日、投稿した方のような一部の保守層は、それこそカルトのグローバリズム、国際共産主義そのもの、日本の國體を滅ぼす許されざる危険思想であると言うでありましょう。
日本を主語とし、断じて、グローバリズムから國體を護ると。カルトの国際共産主義運動から日本を護ると。
日本に救世主がお生れになった。
世界は、狂おしいほどに救世主の愛の復活を待っている。
世の識者は、古典は受け入れるが、同じ内容を語るものであっても、現在ただいま、進行形の大思想の胎動は受け入れない。
現代人にも絶大な人気を誇るコリント人への手紙―第13章(新約聖書)曰く
~いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。~
いま、日本が「信仰と愛と希望」の復活の歴史の発端にいるのである。
このうち最も大なる愛が、日本から世界に向けて飛翔しようとする時、万一、それを阻害する、最大要因が、万一、他ならぬ、驚くべきことだが、ご利益一辺倒のShintoismであるならば、私たちは、愛の飛翔のために、涙を呑んでサヨナラしなければならない。
振り返れば、本来の日本を取り戻すために、主は、どれだけ孤軍奮闘されたことか。
まだ、大東亜戦争時の軍人幹部の霊言が出ていなかった初期の頃、故南原宏治氏の嘆きを聞いた、昨日の事のように記憶している。
「なにゆえ、日本の神々は、先の戦争について沈黙なさるのか。」
南原宏治氏帰天して9年後、主は幸福実現党を旗揚げし、政治活動にコミットしてより、特に戦後70年であった2015年を中心に、堰を切ったように先の戦争時の幹部の霊言が出版された。
・公開霊言 東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る2013
・天に誓って「南京大虐殺」はあったのか2014
・南京大虐殺と従軍慰安婦は本当か2014
・沖縄戦の司令官・牛島満中将の霊言2015
・栗林忠道中将の霊言 日本人への伝言2015
・パラオ諸島ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐の霊言2015
・大東亜戦争の真実 インド・パール判事の霊言2015
・杉原千畝に聞く 日本外交の正義論2016
・インパール作戦の真実 牟田口廉也司令官の霊言 2017
この他に、明治天皇、昭和天皇等皇室の霊言も出版されている。
主は、先の大戦における日本の植民地解放の功績にも光を充て、また河野談話の撤回等、本来の日本を取り戻すために、政党まで立ち上げ、孤軍奮闘された。
その孤軍奮闘ぶりは、幾万の英霊を哭かしむものであったと思います。
南原宏治氏があと十数年生きておられたら、地上にて、随喜之涙を幾重にも流されたことでしょう。
ただし、南原氏の「なにゆえ、日本の神々は、先の戦争について沈黙なさるのか。」の問いについては、トップの戦争責任の観点については、本年2023年に至るまで沈黙が支配していたともいえるかもしれません。
東条英機氏が、霊言の中で、戦争責任の核心に触れる言葉を残しておられますが、その無責任体制に終止符が、本年、打たれたと思うのです。
保守主義者は、古典を愛せるが、現在を愛せないのかもしれない。チャンネル桜等で怪気炎を上げておられた西部邁氏なども多摩川に入水して逝ってしまわれた。
もちろん、現在の中に、無残な無信仰、唯物主義が蔓延していることは確か。
しかし、日本が「信仰と愛と希望」の復活の歴史の発端にいることも確かである。
天御祖神の復活と共に、偽りのShintoismとサヨナラし、歴史の終わりと発端に存在する私は、現在を愛そう、いや愛する。
信仰こそが、人権の最後の砦である。飢餓を演出し、コオロギを食べさせようとする、パンデミックを演出し、注射を打たせようとするグローバリズム、国際共産主義運動と戦う、最後の砦は、信仰者の連帯なのである。
バイデンの規定する
民主主義国家 VS 専制主義国家
ではなく
真実のあるべき構図は、
神を信ずる国家 VS 唯物論国家
である。
信仰者の連帯の砦、世界宗教の出現こそが、人類の希望なのであって、これをカルトの国際共産主義運動という一部日本の保守の了見の狭さは、超弩級の破廉恥である。