『小林秀雄とエル・カンターレ(夏裘冬扇/片山杜秀)』 | 加納有輝彦

『小林秀雄とエル・カンターレ(夏裘冬扇/片山杜秀)』

『小林秀雄とエル・カンターレ(夏裘冬扇/片山杜秀)』

 ワシントンD.C.在住の政治思想家の伊藤貫氏と、麗澤大学国際学部准教授ジェイソン・モーガン氏の対談※において、少し、幸福の科学に言及があったので、備忘録として記録しておきたい。

※対談:【伊藤貫の真剣な雑談】第13回 伊藤貫×ジェイソン・モーガン「伝統的価値規範が消えた中国、それに直面するネオコンと親米保守の不道徳」[桜R5/4/1]


 1時間45分に及ぶ長時間の対談であり、実に多彩で豊富な論点が参究されたわけだが、今回は、幸福の科学に対する言及を中心にピックアップしたいので、他の論点は、別の投稿で取り上げたい。

 伊藤貫氏は、ここ最近一貫して、運がわるければ、3年後か4年後、どんなに運がよくても、十数年後には、日本は滅びるだろうと言い続けておられます。

 その根本原因は、少なくともここ100年間、日本から宗教と哲学が失われてしまって、
日本人、とりわけ政治家が、形而上の価値判断をまったく出来なくなってしまったことにあるという。

 伊藤貫氏はいいます。
宗教と、哲学の復興がどうしても必要である。
なぜ、宗教とか哲学とかが必要かというと、人間には、目先の利益、目先の命よりも大切なプリンシプルがあると、もしくはパラダイムがあると、そういう感覚というのは、宗教、もしくは哲学からしか出てこない。

 社会科学なんてものをいくらやっても、そういうのは出てこない。人間にとって一番大切な価値判断、価値基準とは何なんだという、社会科学、政治学、経済学など、いくら勉強しても、絶対出てこない。

最終的には、宗教か哲学、このどっちからからしか出てこないと。

 形而上的な基準、宗教的、哲学的価値判断の基準が全然ないから、アメリカ様の仰る通りでございます、となる。騙され続ける。いいなりになる。

伊藤貫氏は仏教だとか、儒教を、本気で信じていた江戸時代の人間だったら、こういう無様なことは絶対にやらないと思うと仰る。宗教、哲学、形而上学が、全然なくなってしまったから、ものすごくみじめなアメリカの奴隷となってアメリカにしがみついて、生き延びるしかないと、いう、すごくみっともない、生き方を晒しているのだという。

  このような伊藤貫氏の言葉を受けて、ジェイソン・モーガン氏は以下のように発言した。ここに幸福の科学への言及があった。

「最近、これ変なはなしですけども、わたし、週刊新潮読むのが大好きで、扉エッセイとして片山杜秀さんがお書きになるエッセイが、文学としていいと思います。

いつもいい指摘をされる先生で、
この間、亡くなったあの新宗教組織の指導者ですね。名前は言わないんですけれども、名前言ってもいいでしょうかね?
幸福の科学の、大川隆法、最近亡くなったわけで、片山さんが指摘されたのは、今の日本は、もう神道とか仏教とか、そうじゃなくて、あのような(幸福の科学のような)ニューエイジ的な、えっと、マダム・ブラバツキーとか、神智学的な、フィロソフィズム(philosophism:似非哲学)、つまりきわめて近現代的な宗教意識、神道とか仏教とかほぼ関係ない、そう読んだらなるほどと、思ったんですよ。

 今の日本人は、本当に神道とか、仏教とか、信じていらっしゃる方、まだいるんですね。
いるんですけれども、でも一般いえば、非常にニューエイジ的な、つまり精神的に、体解(解体)されたわけです。戦後日本人、精神的に体解されて、私の友達が最近、日本に来て、取材をしに来たんですね、アメリカから、あの人形と結婚したという人がいて、えっと、ミクハツネですか、ハツネミクという人形と結婚したという若い日本人がいるんですね。
アメリカの報道を見ると、いやー、日本人は変だねと、よく書くんですけど、考えれば、それは、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が大成功したんですよ。

WGIPが、日本から男を奪ったわけですね、自分の国を守りたいという男、が出ないようにそういう戦略があったわけです。その作戦が、大成功したわけじゃないですか。

日本の神道、仏教、それから日本の男らしさ、全部、奪って、日本という文明を、幹を切る、茎から切っちゃって、少子化問題は、日本が文明的に枯れているから、生じていると思います。いくら政府がお金を出しても、その問題解決にはならないです。日本文明が、形而上学的に、枯れているから、それをとり戻さない限り、日本の未来は非常に暗くなると思っている。以上です。」

 以上が、ジェイソン・モーガン氏の発言である。

ちなみに、モーガン氏が、愛読しているという週刊新潮の扉エッセイ「夏裘冬扇/片山杜秀(3/23号)」の、タイトルは、『小林秀雄とエル・カンターレ』であった。

 片山杜秀氏は、小林秀雄は、実は大正末期の帝大生時代から超能力に深甚な興味を抱いていて、ロシア人のブラバスキー夫人の始めた神智学の影響を受けていたと書いた。

 そして、片山杜秀氏が理解し解釈する大川隆法総裁の教えの概略を説明し、エッセイを以下のように締めくくった。

「現実界で人間がなぜなかなか霊的に上昇できず、悩み苦しみ幸福になれないのかを説明するために、神智学からはかなり排除されている悪魔的・悪霊的要素を(大川隆法総裁が)強調したのが、さすがだとも感じる。
 仏教とか神道とか表向きはよく言うけれど、現代日本人のスピリチュアルな感じ方・考え方に浸透している最大のものは、本当は神智学なのではないでしょうか。」

 この片山氏の解釈に対する私の意見は、別の機会に譲るとして、このエッセイにおいて、片山氏は、ジェイソン・モーガン氏が言ったような、神智学を、philosophism:似非哲学とは、言っていない。

 モーガン氏は、片山氏が言った、現代日本人に浸透している最大のものは、仏教や神道でなく本当はニューエイジ的な神智学なのではないか、それを代表するのが幸福の科学ではなかったのか、という論点を受けて、
 WGIPの陰謀により、仏教や神道という本物?を日本人は、忘れ去り、神智学(幸福の科学)という似非哲学にはまってしまって、日本人の精神性が体解(解体)させられてしまった・・・そんなふうな事をモーガン氏は仰ったように思えた。

 この解釈は、片山氏、モーガン氏共に、かなり浅薄であり、正統な批判を加えたいが、今日は、ここまでにしておきたい。

 ただ、ジェイソン・モーガン氏は、大変、お優しい教養人であって、実は、幸福実現党をお嫌いな水島総社長を忖度して、自説をやや捻じ曲げて、このようにphilosophism:似非哲学という表現をお使いになったのではないかと、深読みしている私もいる。

 それほど、モーガン氏は、お優しいお人柄であるのだ。日本を愛するあまり、水島社長に日本人的忖度をしたのかもしれない。(笑)

 

※対談:【伊藤貫の真剣な雑談】第13回 伊藤貫×ジェイソン・モーガン「伝統的価値規範が消えた中国、それに直面するネオコンと親米保守の不道徳」[桜R5/4/1]
 



片山杜秀氏

 

 

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