たぶん、私は、ボギー手登根氏の側に立つ | 加納有輝彦

たぶん、私は、ボギー手登根氏の側に立つ

 我那覇真子氏とボギー 手登根氏の「論争」は、大変興味深い。

 

なぜなら、私も、地方のAMラジオで10年弱、番組のレギュラー・コメンテーターとして「放送法」と関わってきたからである。同じ業界の中で、同じような立場(保守的な立場で政治的発信をする)を経験したものとして、このお二人のやりとりは他人事と思えないのである。

 以下に、ご存知ない方の為に簡単に経緯を振り返ってみる。(経緯をご存知の方は読み飛ばしてください。)
 

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「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」の代表運営委員、我那覇真子さんは、自身が制作、出演するラジオ番組の放送が一方的に打ち切られたとして、FM21(浦添市)に対し、表現の自由の侵害と精神的苦痛の慰謝料100万円の支払いを求める訴訟を那覇地裁に起こした。

 

 その際、同じFM21で番組を持っている、ボギー 手登根氏の番組を引き合いに、「私の番組が一方的に打ち切られ、ボギー手登根氏の番組は、継続している。同じような内容なのに、この違いには、何か大きな力が私に働いているのではないか。琉球新報、沖縄タイムスと戦う私が狙い撃ちされているのではないか。」そんなニュアンスの意見も発信した。

 

 この件に関して特別反応しなかったボギー 手登根氏に火の粉がかかった。

我那覇氏のファンから

「なぜ、我那覇氏を応援しないのか?」

手登根氏への抗議が殺到した。

そんな批判がエスカレートし、手登根氏の奥様にまで被害が及ぶに至って、

手登根氏は、我那覇氏本人に抗議の電話を入れた。

 

「私を巻き込まないでほしい。」

FM21の番組に関しては、過去、手登根氏の発言にも局側から指導が入り、始末書を書いたりして、対応してきた。我那覇氏だけ狙い撃ちされているわけではない。私も同じなんだ。番組を続けていくためにある程度の妥協も必要・・・というようなニュアンスを我那覇氏に伝えた。

 

 すると、我那覇氏の反応は、以下のようであったという。

 

①    私はそのように思っていない。私のファンが誤解している。ファンからの抗議に関しては、手登根氏から説明して誤解を解いてほしい。(ファンのした事ではあるが、ご迷惑をおかけしたことを詫びるというような常識的な対応は一切なかったという。)

 

②    手登根氏が、FM21側の指導に従ったことは、「言論弾圧に屈したことになる。」と批判。私は(我那覇氏)あくまでも言論弾圧と戦う。手登根氏が長年番組を続けてきた中で、ある程度妥協し、局側の意向に歩み寄ったことは、我那覇氏にとっては「言論弾圧に屈した情けない姿」と映った。

 

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 さて、私は、幸福実現党、幸福の科学グル-プ制作の番組のコメンテーターとして関わってきた。
ラジオ局側からすれば、

宗教と政治が絡んでいる。リスナーには、いろんな信仰をもち、いろんな政治的信条をお持ちの方がいらっしゃる。放送法が規定する、不偏不党、公正中立の精神から最も気を使う、できれば避けたいジャンルである。そもそも本来、門前払いを受けてもおかしくない。番組をご支援してくださっている関係者の長年培ってきた社会的信頼により放送が成立している。

 

 そんなわけで、放送前に、15分番組で話す内容は、事前に局側の「考査」を受ける。我那覇氏からいわせれば、検閲であろう。

 政治的内容のものは、原則、両論併記を求められる。特定の思想信条の一方的な発信はご法度。引用するものは、正確な出典を記す。

 

 いま、HSU(ハッピーサイエンス・ユニバーシティー)で軍事学や国際政治学を教える元航空自衛隊の自衛官の河田成治氏の原稿は、しばしば謝絶にあった。謝絶とは放送できないということである。

 とりわけ、中国問題の内容は、しばしば謝絶にあった。

原稿の大半を書き直した。

 

 これなどは、我那覇氏から言わせれば、「言論弾圧に屈した情けない姿」となるだろう。我々は、言論弾圧に屈した薄汚れた大人なのであろう。

 

しかし、この10年弱の間、表現の自由度がかなり増してきた。

当初は、「霊言」というワードもNGであったが、今は、自由に使える。

 また、国防問題に関しても、表現の自由度は格段に増した。

 

 これは、国際情勢の変化とともに、我々と放送局側の信頼関係が篤くなってきたということも大きい。

放送局側のスタッフも、我々の主張は、十二分に理解している。

ただ、不特定多数のリスナーを想定し、放送法の不偏不党、公正中立に認可を受けた放送事業者として配慮しているのである。コンプライアンスを守っている。

 

 これは、法治国家に生きる我々としても、十二分に理解し、お互い歩み寄っているのである。

そこに信頼関係が生まれる。この信頼関係は、我那覇氏には、「馴れ合いのズブズブの関係」となるのかもしれないが、断じてそうではない。

 お互いの立場に敬意を払い、尊重する関係である。

 とにかく地方の放送事業者は、放送法を真面目に守っている。

不偏不党、そして公正中立。

 

 しかし、放送法を守っていないのは、地方の放送事業者の上にあるキー局である。

キー局は、偏向報道の塊である。

 

 地方の事業者がまじめにコンプライアンス(法令順守)を守り、キー局は守らない。このねじれ現象は、現場でよくわかった。そんなこともあり、真面目な地方局のスタッフの皆様は同志でこそあれ、断じて敵ではない。

 

 これは、沖縄という特殊な環境にあれば、なおさらのこと。

沖縄タイムス、琉球新報という「偏向報道の王様」の支配下にあって、

FM21は、放送法に配慮しながら、認可を受けた放送事業者としてギリギリの戦いをしてきたのだと思う。場合によっては、認可を取り消されてしまう。

 

 だから、ボギー 手登根氏は、FM21の指導に時に始末書を書いて協力して番組を継続してきたのだと思う。

 

 我那覇氏も、おそらく番組打ち切りの前に、FM21から改善指導があったはず。それを無視し続けたがゆえの結果だったと思われます。

 

 だから、この裁判に対して、待ったをかけた依田啓示氏の気持ちもわかる。

依田啓示氏は、FM21の意見を代弁する立場に立っておられる。

 

 我那覇氏からみれば、依田氏は、裁判を背後から邪魔する天敵のような立場に映り、大論争となり、6時間もの公開討論となった。


 桜チャンネルの水島社長が、我那覇氏にいう「戦う相手は、沖縄タイムス、琉球新報だろう。FM21ではないだろう。」も非常に理解できるのである。

 

 この事例は、私の環境で同じことが起きるとすれば、

私が出演している番組と非常によく似た番組が、突然、打ち切られ、その当事者が、裁判に訴えて、私の関わる番組と同じ内容なのに、どうして一方だけ打ち切りになるのと?

 

 そして、私が沈黙を守ったとして、私の沈黙に対して、先方の支援者から避難を浴びるという構図かなと。

 すると、おそらく私も少なくとも、ボギー 手登根氏の立場に立つのかなと思います。

依田氏のように振舞うか、それはそこまではしないかも。

 

 つまり、FM21は、厳しい左翼一色の沖縄の環境下にあり、ギリギリ、保守言論を守ろうとしている仲間であって、決して「敵」ではなかろうと。

 だから、我那覇氏は、戦う相手が違うよと、そう言っている人間に対して、裁判妨害と激しく論争を繰り返している、そのように見えるのである。

 

 そこには、純情一路の若さゆえの認識の狭さがあるのだろう。
彼女のような直情が、世の中を変えるという可能性も否定しないが、実際、彼女は、そう思っているだろう。

 

 ボギー 手登根氏や、私たちのように、放送局の立場も尊重し、歩み寄り番組を運営していくといような姿勢、彼女が言うところの言論弾圧に屈するような姿勢では、沖縄の言論状況を突破できないという信念であろう。

 ただ、その信念をお持ちの我那覇女史が、自らの心の統御ができていない、心の川が氾濫し、本人のみならず、他者にまでその氾濫水が浸水している。その点が大いに気になるのである。

 

 この状況は、いま、日本霊界(高天原)で起きていることと連動しているようにも見える。

保守の瓦解は、民族神信仰の創造的破壊の予兆なのかもしれない。

 その次に来るべきものは、私は予感している。

 

 

 

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