鬼神を哭しむ大川隆法総裁の台湾説法 | 加納有輝彦

鬼神を哭しむ大川隆法総裁の台湾説法

  大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は3日、台湾の台北市内で、講演「愛は憎しみを超えて」を行った。

 講演の中で、

 

~1972年に日本が中国と国交正常化を行い、同時に、台湾との国交を一方的に破棄したことについて、「私は非常に恥ずかしいことであると感じています。少なくとも、武士道の国であるならば、そんなことをしてはいけない」と断じた。その上で、「でも、心配しないでください。日本の人たちは、今度は、台湾を見捨てません。今、日本の国は変わりつつあります」とし、グループの幸福実現党(釈量子党首)が、日台の国交回復、および日台の同盟関係の樹立を主張していることに触れた。~

 

これは「蒋介石の霊言」のあとがきでも言及された事である。

~台湾にも危機が迫っている。かつて日本軍として戦ってくれた人々を、何度も見捨てる日本であってはならない。~

 

この総裁の言を聞いて、かつて青嵐会で演説をぶった南原宏冶さんがご存命なら、いかほどの感慨をもって聞かれたことか、想像を絶する巨大な感動をもって聞かれたことと確信する。
 

青嵐会についてまとまった著書が少ない中で、「血の政治~青嵐会という物語~」河内孝著の一冊に南原氏について書かれてある。
 (第二章 p77 青嵐会と三島由紀夫)

~映画「戦争と人間」シリーズで左翼小説家役を演ずるなど、 個性的な演技で知られた南原宏治も勝手連の応援団の一人だった。 武道館での大会の後、3月10日(1973年)に名古屋で開かれた青嵐会集会で、演壇から「青嵐会は三島に続け!」と絶叫してマスコミの格好のえじきとなった~

 

 たったこれだけの文章であるが、「青嵐会は三島に続け!」という絶叫に込められた南原氏の思いはいかほどのものであったか想像に難くない。

 

 青嵐会の旗揚げのきっかけは、今太閤田中角栄氏が総理に就任後、たった二カ月でハワイでニクソン大統領に会って、その足で中国へ行って、国交回復をし、台湾と国交を断絶したことにある。

 

 まだ蒋介石が存命であった。

国民党の蒋介石は、「怨みに報いるに徳を以てす」という有名な「以徳報怨」演説をして、終戦直後の中国居住日本人に対して報復的な行動を禁止し、かつ、戦犯を除いては、抑留もしないで、大陸から日本人を皆返してくれた。シベリア抑留を考えると、この寛大な措置に対して当時の日本人の多くは蒋介石に感謝し、その恩を忘れてはならないと考えた。

また、先の戦争では、多くの台湾人(内省人)が日本軍(日本人)として戦った。
 これを大川隆法総裁は、「かつて日本軍として戦ってくれた人々を、見捨てた日本」と断じたのである。大川総裁は、蒋介石の恩もさることながら、内省人がかつて日本人、同胞であった事を強調しておられる。この観点は、蒋介石の恩と比べると、ともすると忘れがちな論点である。

 

このように青嵐会の成り立ちは、田中角栄内閣が、台湾を見捨て中国と国交を結んだことがきっかけでもあった。今太閤と絶大な権力を誇った政権に反旗を翻すことは、想像を絶する勇気のいる事であった。そのため、青嵐会のメンバーは、その勇気を血判を押すことによって確かめ誓ったのであった。

この流れは、経済優先の吉田ドクトリンに対する反旗でもあった。

憲法改正をして自主防衛を掲げる鳩山一郎、岸信介陣営(日本民主党)と、経済優先で、防衛はアメリカに任せるという吉田茂陣営(自由党)が、この両者、本来、水と油の両者が、社会党政権誕生を阻止するために(政権を取られる恐怖心から)合同して生まれたのが自由民主党であった。その点、青嵐会は、憲法改正、自主防衛をかかげる派閥の実働部隊でもあった。

 

 南原宏冶氏が、武道館での大会の後、3月10日(1973年)に名古屋で開かれた青嵐会集会で「青嵐会は三島に続け!」と絶叫したのは、「憲法改正し、自主防衛の政策理念を貫徹せよ!」ということでありましょう。

当時、「左翼こそ正義」のマスコミの格好のえじきとなったということも容易に想像できます。

 

 武道館での大会と書いてありますが、これが歴史的なエポックで、自民党としては初めて武道館を一杯にして青嵐会主催「日本を救う憂国の集い」を開催。黛敏郎さんがシンフォニーを率いて演奏も行った。

 南原宏冶氏は黛敏郎氏とも親交が深かった。

 

 このような青嵐会の応援団の一人でもあった南原宏冶氏が、このたびの大川隆法総裁の台湾説法を聞いたなら、いかなる感慨を持たれたか、容易に想像できるのであります。

 

 もはや、このような言葉を発する勇気を持つ者は、自民党には皆無でありましょう。いや、そのような勇気を持つ日本人は皆無でありましょう。しかもこの言葉は、習近平国家主席に向けられたもの。

 

 田中角栄氏に反旗を翻すことにも、血判を押してその勇気を確認する必要があった。

それでも青嵐会の29人の当時の国会議員には勇気があり、骨があったといえるでしょう。

特質すべき点は、彼ら29人のうち、世襲議員はたったの3人。やはり、一代目は迫力が違う。
現在の世襲議員がほとんどの自民党に、かつての迫力を求めるのも無理な話かもしれません。

(幸福実現党は、全員、正真正銘の一代目であります。笑)

かつて「大川隆法氏が私のすべて」と憚ることなく信仰告白をした南原宏冶さん、いま、地上にいらして台湾説法を拝聴されたなら、その感をさらに一層深められたことでしょう。さらに進化させ「大川隆法氏がわたしの、アジアの・・すべて」すなわち「アジアの希望」「アジアの、世界の光」そのものと憚ることなく信仰告白されることでしょう。

 

大川総裁が台湾で講演 「台湾は中国とは別の国家」

https://the-liberty.com/article.php?item_id=15486

 

台北で行われた講演会 2019.3.3

 

 

台湾関連の霊言

 

 

 

 

 

 

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