愛の魔法? | 加納有輝彦

愛の魔法?

 一昨日、「マルクス〇〇大会」に参加。

 

 

(以下、本講演後の岐阜県の集会に参加された党首との対話を経て、私が感じた『私見』を述べるものであります。)

 

今回は、

ある意味、今まで見たことのない釈量子党首の獅子吼を観た。

 

 先月末の、美濃加茂市講演会の党首の講演をして「舌鋒火を噴く」と表現したが、その言葉は、まさしく今回の党首の獅子吼にこそ相応しかった。

 

 9年間の幸福実現党の戦いを経て、もはや幸福実現党に係わる人間に「人間の欲得、政治的野心、我欲」に奉仕すものはなに一つ提供できない事がはっきりと明かになったがゆえ、ふるいにかけられかけられして残ったものとは、「信仰」「愛」「忍耐」となった。

 

 9年間の試練と共に、不純物が入る余地がなくなった。

 もちろん、これにより「負け」を合理化するというような事では断じてない。

 

 そして、もう一つ残ったもの。(9年間の試練からは普通出てこないであろうもの)

 

「希望」である。

「未来への確信」である。

 

 

 

 党首はある時、「(希望の)未来図」を見たという。

 

 

 

 党首曰く

 

 いろんな現場(地方選)で、

 (砂金のように残ったもの)「愛」が、奇跡を起こしつつあるという。

 

 透明な純粋な愛が人々に「魔法」をかけるのだという。

 

愛の魔法をかけるとはどういう事か?

 

それはこれからそれぞれの現場で体験して分かるであろう事。

 

私も、それに挑み体験してみたい。

 

 一昨日は、多くの同志が、「自由」「民主」「信仰」を旗印に、愛からの出発、決断をされた。

 

 

 

 

 

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