トランプ・金会談考 | 加納有輝彦

 トランプ・金会談考

 トランプ大統領と金正恩氏の直接会談のビッグニュースを端緒として、今後のマスコミの論調は、「対話による平和的解決」が主導すると思われる、というか自明の話。

 

 「対話による外交的解決」が最も穏当で、賢明で、常識的判断であり王道であると・・・。

 

 さて、対話におる平和的解決は、北の核放棄が前提。北にとっての前提は、「金王朝」の体制維持、存続である。

 北の核放棄、北の体制維持、この成果が実現すれば、まさにエポックメイキング!「平和的解決」が達成されたということになろうと思われます。

 

 しかし、自由を著しく制限された、人権を著しく侵害され続けている「北の人民」が忘れ去られているのではないだろうか。

 

 天の意志があるとすれば、自由を剥奪された北の人民の解放こそ天意であると私は認識している。

 畢竟、天は、北の体制維持を認めないと認識している。

 

 だから、宗教は怖い、宗教が振りかざす「正義」が戦争を起こす。そういう批判がある事は承知しているつもりです。

 

 それでもなお、歴史を振り返る時、人類史に常に戦争は存在し続けた。戦争は、末端では単なる「殺し合い」である。
 しかし、単に人を殺すために戦争は起きたわけではないことも事実。

 時に、人は自由のために命を捧げた。

 

 人間の残虐な姿が現れるのが戦争である。と同時に、最も崇高な精神が発揮されるのも、往々にして戦争時であった。

 北の体制を認めないとする「天意」があるとして、それが地上で実現されるために、何が起こり得るのか。
 
 ここ十数年の北の歴史を見る限り、悲しいかな支配体制に対する「武力行使(暴力)」が最右翼の選択にならざるを得ない。

 北の体制の維持が約束され、米の武力行使の可能性がなくなる時、我々は安堵の感情を得るだろう。


 しかし、その安堵の感情は、ほおかむりして北の人民の悲劇に目をつむる「卑怯者」の利己心なのかもしれない。

 

 

 

 

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