チベット尼僧の最期を想う。 | 加納有輝彦

チベット尼僧の最期を想う。


 幸福実現党は、積極的に中国で自由を奪われている少数民族問題を取り上げ、他人事でなく日本は国防をしっかりと考えないと、そう遠くない将来、離島から始まり、沖縄、そして九州へと中国共産党の触手が伸び、現憲法下では「戦わずして占領される」可能性が非常に高いと訴えている。

 そして、日本が占領されることを、もっともリアリティーをもって憂いているのが、日本人ではなく、在日チベット人、ウィグル人の中の心ある人々である。(日本に帰化した方も少なくないが)

 彼らにはよくわかるのである。自分たちの祖国が消えていったプロセスに、今の日本がそっくりだからだ。日本の防衛力の無力化(反米・嫌米・反基地感情を扇動する)は、中国の日本工作の重要ターゲットだ。

 防衛力の無力化、日本人の思想の無力化、この両者が、皮肉にもアメリカの占領政策がいまだに効能が消えず、中国の工作とシナジー効果を発揮して、その目的は達成されつつある。

 その中国工作の達成のピークが、政権交代による民主党政権の樹立だ。

 これは、中国工作の悲願でもあった。親中政党、民主党政権樹立。むろん、自民党田中角栄政権時、蒋介石国民党を捨て、中国共産党を選択したところから複雑な関係が始まってはいるが、、。

政権交代後の対中外交をみたら、自民党もだらしなかったが、戦後最大の外交的敗北たる中国漁船船長の解放等々、中国共産党の傀儡政権か?と思わせるほど無残な外交的敗北が続いたのである。
 
 小沢一郎氏の朝貢外交も忘れまい。

 いよいよ日本の植民地化が具体的に急ピッチで進みだしたとき、それに立ちはだかったのが、幸福実現党の立党であり、その後の同党の政治活動であった。

 読者諸兄は、「バカバカしくてもう読んでられない。票数を見てから物言え!どんだけ得票してるんだ。票数は誤差で無視可能なゼロといってもいいぞ!生意気いうな!」との批判は覚悟の上である。

 大川隆法党名誉総裁の数々の党のバックボーンとなる政治思想の発表。そして党の政策提言、これらは誰がなんといおうと植民地化されつつあった日本の思想的防波堤となった、いや現在もなっているのである。

もし、幸福実現党がこの3年間、存在せず活動していなかったら、日本の精神的・政治的風景は現在のものとは違ったであろう。鳩山・菅による日本破壊は、もっともっと進んでいたであろう。幸福実現党の存在により、その破壊度はそれでもすざましいものであったが、食い止めた部分はあったと思う。

一方で、東日本大震災というカタストロフィーを止めることはできなかったことは、無神論国家日本に住む生活者として、我々も共犯者である。罪を共有する者である。



さて話題を少し戻して、
 幸福実現党は、今後とも憂国の志士(残念だが、日本人ではなく、アジア少数民族の方々)たちと共闘して、中国共産党の「悪」を告発していきたいと考えている。

 おそらく今の日本人の平均的メンタリティーからすれば、そういう事を声高に主張するから相手を刺激して、逆に関係を悪化させる。とにかく刺激しないようにすべきだ。となるであろう。

 中国は日本最大の経済パートナーである。そんなことをしたら経済に大打撃となる。幸福実現党は、わが社の商売の責任をとってくれるのか。

 このような「刺激をするな」「まあまあ現状維持でいこう」というような論調が、一般的でありましょう。事実、石原都知事の尖閣買い上げの問題に関して、朝日や中日新聞はそういう意見でした。

 しかし、YouTubeで、初めてチベットの若い尼僧が、自らガソリンをかぶり焼身自殺する映像を見たとき、涙と共に、聖なる怒り・公憤がこみ上げてきた。

 同じアジアの国の下で、こんな悲惨なことが起きている。人間はパンのみに生きるに非ず、自由を奪われた奴隷としての生存は、自ら火だるまになって命を捨ててでも国際社会に訴えたい人権弾圧・奴隷支配なのである。

 経済パートナーだから、自社の利益が減るから、刺激をしたくない、、、これで人権弾圧を見て見ぬふりをする、果たしてそれでいいのだろうか。

 私は、チベットの僧侶たちが焼身自殺という究極の非常手段を講じてでも国際社会に訴えたかったことを真剣に受け止めなければならないと思う。

  宗教政党である幸福実現党が最も深刻に受け止め、だからこそ中国の人権弾圧の糾弾キャンペーンを行っているのであります。

さらに、支持母体幸福の科学が6月より「ファイナル・ジャッジメント」という、日本が独裁国家に占領されたところからストーリーが始まる映画を全国公開し、平和ボケした、無信仰に陥った日本人のメンタリティーに一石を投じるであろう。

  日本のマスコミは、積極的に報道しない。私はこういった観点から幸福実現党を誇りに思います。

 チベット僧侶を見殺しにするな。

自由の砦が信教の自由である。なにが最大の自由といって、内心の自由であって、そして内心の自由の最高形態の保障として、信教の自由がる。

信教の自由が失われた時、人は奴隷となる。

人は、奴隷的生存では、生き続けることができない存在である。

今の日本人のメンタリティーなら、「わしは奴隷でもいい。戦争するくらいなら、三食食べさせてもらえれば、雨露が凌げるのであれば、中国共産党の支配下でもいい」というかもしれない。

 単に、肉体が生存し続けるのを是とするなら、それでいいだろう。

しかし、焼身自殺するチベット僧侶を見よ。
人間は、奴隷的生存のまま生き続けることができない存在なのだ。たとえ、三食が保障されても。

 日本人が、戦争を永久に追放するために、奴隷的生存を受け入れる。つまり、戦争放棄が人類最高の理想だから、結果、奴隷的生存でもいいというのなら、そういう理屈もあり得るのだろう。

 人類の最高の理想が、戦争放棄。
 だから最高理想を実現することがすべてのすべてなら、結果の奴隷的生存も受け入れようというわけだ。

 しかし、人間は、戦争放棄より高次の価値を実現しようとする。戦争放棄より高い理想とは、自由である。

 これが、人類から戦争がなくならない理由だ。自由と自由が相克するのである。

神は、世界が平和で、戦争は一切なく、肉体的生存が確保されている世界しかし、理想が肉体生存の維持という世界より、時として戦争があっても、各国が自由という理想を追求している、切磋琢磨している進化している世界を愛しておられるようである。

 戦争が好きという意味では断じてない。

日本人の、戦争放棄が最高というメンタリティーは必ずしもそうではないということだ。自由のために、人は時として武器を持ち、戦うのである。

 自由をはく奪されたチベットの尼僧は、自らの肉体を武器として燃え上がらせ、国際社会に射ちはなったのである。

 幸福実現党は、宗教政党として受け止めているのである。

小沢云々一辺倒のゴシップ・ニュースばかりながし、中国のご機嫌をそこねないような報道に終始する日本のマスコミは、「奴隷」なのかもしれない。

※この動画を放送したチャンネル桜・水島氏に敬意を表します。必ずしも水島氏は幸福実現党によい印象をお持ちでないと思いますが、(皇室の扱いで)しかし、これらの問題に関しては、認識は一致していると思います。

にほんブログ村 政治ブログ 政治家(幸福実現党)へ
にほんブログ村