こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 7―31
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷露堂々☆*~🧘♀☆*~🪷露堂々☆*~
『露堂々』
(ろ どうどう)
【堂々と露(あら)わる】
と云うことです。
《露》とは…
あらわれること。
16日にお話しました御参照に!。
🪷露堂々☆*~🧘♂☆*~🪷露堂々☆*~
「真理は目の前にハッキリと露(あら)われている」ことです。
コロナ禍も収まりつつ有る中で、家にいるより今は、外に出て自然と触れ合って見ることで、清々しい爽快な心持ちになることが出来ます。
周りの景色、田園風景、空の碧(あお)さ、草花を見て、のんびりとした気持ちになって和むことが心にとって大切なことです。
草は草として、花は花として本文をまっとうしてこそ存在しているのです。
目の前に広がる景色一つ一つが、それぞれの真理を余すところなく露われています。
それを【「ハッキリと見よ」と云うのが「露堂々」】です。
心のキャパスティ(許容範囲)、心の窓を大きく広げて、すべてのものをしっかりと見ることですョ。
🪷露堂々☆*~🧘☆*~🪷露堂々☆*~
見栄も欲も外見も捨てて、一切の分別心(あれこれとこだわる心)を離れて、少しも隠すところがなく、人間として、ありのままの赤裸々の状態を云います。
すべて、開けっぴろげで仕事をしょう。
ザ禅の修養を重ねて、一切を放下して、純粋無垢の赤子のように、実に無邪気で無念・無想・無心の世界ですネェ。
🪷露堂々☆*~🧘♀☆*~🪷露堂々☆*~
「明歴々(めいれきれき)露堂々」
【歴々と明らかで、堂々と露われている】と云う意味です。
明らかな上にも明らか、何一つ隠していない。
真理がありありと露呈していることです。
《明歴々》とは…
「はっきりとして明白なさま」なこと。
《露堂々》とは…
「むき出しにされる」ことです。
この言葉の裏には隠されている意味は…
【真理(究極の道)は、はっきりと明らかにされて、堂々と現れている】
と云うことです。
一点も覆(おお)い隠すことなく、明らかに露われていると云うことは…
「真理」は奥深いところに隠れていて、誰にでも簡単に見られるものでは無いと考えられがちですが…
違いますョ。
実際には、まったくあから様で有り、隠すところなど微塵(みじん=これぽっち)も無いことを云っています。
それが見えないとすれば、見ようとしないだけか、目が曇っているに過ぎません。
「明歴々露堂々」は、大宇宙に遍満する生命エネルギーが一木一草を貫(つらぬ)かれていることを感じ理解すると心が雄大さになります。
🪷露堂々☆*~🧘♂☆*~🪷露堂々☆*~
このような禅語もあります…
「浄裸々(じょらら)露堂々」
「浄裸々赤洒々(しゃくしゃしゃ)」
《浄裸々》とは…
一糸まとわぬ素裸(すっぱだか)で、きれいサッパリ洗い流したように汚れがない様子です。
生まればかりの赤ちゃんのような心です。
《赤(しゃく)》とは…
一糸も掛けずに、一物も持たない、はだか、むき出しのことです。
《洒々(しゃしゃ)》とは…
「酒」と間違えないように!。
ハッキリとして清浄なことです。
「浄裸々」(じょらら)も「赤洒々」(しゃくしゃしゃ)と同じく、まる裸の一点の汚れも無いことを云います。
✨あなたの過去も🙏ほりさんの過去も一切触れること無く❗。
今、こつ然と悟ることです。
二つとも、煩悩や妄想の塵垢(ちりあか)がまったく無くなって、身心脱落した天真爛漫な姿を云いますョ。
「清々堂々」~「正々堂々」と「美々堂々」と清く~正く~美しく~堂々と笑い飛ばして生きましょう。
禅は“こころ”です
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷露堂々☆*~🧘♀☆*~🪷露堂々☆*~
『露堂々』
(ろ どうどう)
【堂々と露(あら)わる】
と云うことです。
《露》とは…
あらわれること。
16日にお話しました御参照に!。
🪷露堂々☆*~🧘♂☆*~🪷露堂々☆*~
「真理は目の前にハッキリと露(あら)われている」ことです。
コロナ禍も収まりつつ有る中で、家にいるより今は、外に出て自然と触れ合って見ることで、清々しい爽快な心持ちになることが出来ます。
周りの景色、田園風景、空の碧(あお)さ、草花を見て、のんびりとした気持ちになって和むことが心にとって大切なことです。
草は草として、花は花として本文をまっとうしてこそ存在しているのです。
目の前に広がる景色一つ一つが、それぞれの真理を余すところなく露われています。
それを【「ハッキリと見よ」と云うのが「露堂々」】です。
心のキャパスティ(許容範囲)、心の窓を大きく広げて、すべてのものをしっかりと見ることですョ。
🪷露堂々☆*~🧘☆*~🪷露堂々☆*~
見栄も欲も外見も捨てて、一切の分別心(あれこれとこだわる心)を離れて、少しも隠すところがなく、人間として、ありのままの赤裸々の状態を云います。
すべて、開けっぴろげで仕事をしょう。
ザ禅の修養を重ねて、一切を放下して、純粋無垢の赤子のように、実に無邪気で無念・無想・無心の世界ですネェ。
🪷露堂々☆*~🧘♀☆*~🪷露堂々☆*~
「明歴々(めいれきれき)露堂々」
【歴々と明らかで、堂々と露われている】と云う意味です。
明らかな上にも明らか、何一つ隠していない。
真理がありありと露呈していることです。
《明歴々》とは…
「はっきりとして明白なさま」なこと。
《露堂々》とは…
「むき出しにされる」ことです。
この言葉の裏には隠されている意味は…
【真理(究極の道)は、はっきりと明らかにされて、堂々と現れている】
と云うことです。
一点も覆(おお)い隠すことなく、明らかに露われていると云うことは…
「真理」は奥深いところに隠れていて、誰にでも簡単に見られるものでは無いと考えられがちですが…
違いますョ。
実際には、まったくあから様で有り、隠すところなど微塵(みじん=これぽっち)も無いことを云っています。
それが見えないとすれば、見ようとしないだけか、目が曇っているに過ぎません。
「明歴々露堂々」は、大宇宙に遍満する生命エネルギーが一木一草を貫(つらぬ)かれていることを感じ理解すると心が雄大さになります。
🪷露堂々☆*~🧘♂☆*~🪷露堂々☆*~
このような禅語もあります…
「浄裸々(じょらら)露堂々」
「浄裸々赤洒々(しゃくしゃしゃ)」
《浄裸々》とは…
一糸まとわぬ素裸(すっぱだか)で、きれいサッパリ洗い流したように汚れがない様子です。
生まればかりの赤ちゃんのような心です。
《赤(しゃく)》とは…
一糸も掛けずに、一物も持たない、はだか、むき出しのことです。
《洒々(しゃしゃ)》とは…
「酒」と間違えないように!。
ハッキリとして清浄なことです。
「浄裸々」(じょらら)も「赤洒々」(しゃくしゃしゃ)と同じく、まる裸の一点の汚れも無いことを云います。
✨あなたの過去も🙏ほりさんの過去も一切触れること無く❗。
今、こつ然と悟ることです。
二つとも、煩悩や妄想の塵垢(ちりあか)がまったく無くなって、身心脱落した天真爛漫な姿を云いますョ。
「清々堂々」~「正々堂々」と「美々堂々」と清く~正く~美しく~堂々と笑い飛ばして生きましょう。
禅は“こころ”です
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~