こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 6―26
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷一行☆*~🧘♀☆*~🪷三昧☆*~
『一行三昧』
(いちぎょう ざんまい)
【一つの事に精神を集中して、無心で取り組むこと】
を云います。
ただ只管(ひたすら)に一生懸命に励みましょう。
🪷一行☆*~🧘♂☆*~🪷三昧☆*~
禅で云う「三昧」とは…
“全身全霊”その事に徹し成り切り、自性を失わないこと。
どんな状況で合っても、精神を一つの事に集中し、無心で物事にあたる事です。
例えば…
仕事をしている時は仕事だけに没頭する事。
食事をする時は食べる事だけに、遊ぶ時は遊びに集中する。
これら全てが「一行三昧」です。
現代人は音楽を聞きながら仕事をしたり、テレビを見ながら食事をしたりします。
一度に二つの事が出来て時間が有効に使っている気がしますが、どちらも中途半端で、有ることを忘れたり、必要な事を抜かしたりと、満足のいく結果が得られ無いものです。
🪷一行☆*~🧘☆*~🪷三昧☆*~
迷いや悩みのがある時は、今やるべき事に集中しましょう。
悩みの多くは、自分が作り出す妄想です。
どんな事も「一行三昧」を、全身全霊で行っていれば、雑念や妄想が入り込む余地は有りませんネェ。
散らかった部屋の片付け、あるいは根気のいる手仕事。
初めは大変に思えたのに、いつしか時間を忘れて没頭し、ふと気づくと仕事のほとんどが片付いていた……という経験は無いでしょうか⁉️。
意に沿わない事であれ、好きな事であれ、雑念を捨て、「雑念を捨てる」という考えさえ捨てて、いま自分の目の前にある仕事に全身全霊を傾けて没頭して見てください。
後でわれに返ってみれば、その体験が何物にも代えがたい豊かな時間であったと気付くでしょう。
🪷一行☆*~🧘♀☆*~🪷三昧☆*~
『一行三昧』の…
《一行》は「常行一直心(じょうぎょう いちじきひん)」〔常(つね)に一直心(いちじきしん)を行(ぎょう)ず〕の言葉から来たと云われています。
《直心》(じきしん)とは…
真っ直ぐで、何な計(はか)らいも分別執着も無い、純心な“こころ”です。
その「常行一直心」と「三昧」を合わせたものが『一行三昧』です。
もともと「三昧」は、仏教語で、禅の修行の過程において、雑念が払われ、純粋に一点に集中し、その事に成り切った状態を云います。
念仏など、一つの作業を専心に行う行法でも有ります。
🪷一行☆*~🧘♂☆*~🪷三昧☆*~
「精神を一つのことに集中し統一する」ことは…
絶対世界に入定(にゅうじょう)したことです。
すなわち、「禅定」(ぜんじょう)のこと。
「一行三昧」この境地に入る為にはザ禅が一番です。
ザ禅に限ることではなく、今いる場所こそ絶好の修行の場所であるということです。
茶も湯においても、その一つ一つの点前(たてまえ=茶をたてる事、その作法)の動作を無心に成り切ってやれば、それが「一行三昧」です。
前日にお話した「本来無一物」の慧能禅師は…
「どんな環境であれ、立ったり座ったり、寝たり起きたりの行住坐臥(ぎょうじゅうざが)において、心が純一無雑(じゅんいつむざつ)ならば、わざわざ禅道場で坐禅をしなくても、即今即処(そっこんそくしょ=今ここ)が極楽浄土となる。
これを一行三昧と名づける」と云いました。
《純一無雑》(じゅんいつむざつ)とは…
一つの事に夢中になって、うそ偽りのない素直な事、飾り気や邪(よこし)まな心が無いこと。
《純一》(じゅんいつ)とは…
混じり気なく、飾り気のない事。
《無雑》(むざつ)とは…
混じり気のない事〜「ぶさつ」とも読みます。
🪷一行☆*~🧘☆*~🪷三昧☆*~
㊟ 漢字の「一」(いち)を「●」(黒丸)書いています。
「一行」は「●行」です。
真っ黒く塗らずに◯丸に笑顔を描いています。
これからも◯丸に笑顔を描いて有るものは「一」=「●」(いち)の漢字です。
宜しくネェ。
✨あなたも🙏ほりさんも…
人生は●生に●度の出会い…大切にしよう『●期●会』となります。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240626/05/papa2488/c3/84/j/o1080070915456006414.jpg?caw=800)
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷一行☆*~🧘♀☆*~🪷三昧☆*~
『一行三昧』
(いちぎょう ざんまい)
【一つの事に精神を集中して、無心で取り組むこと】
を云います。
ただ只管(ひたすら)に一生懸命に励みましょう。
🪷一行☆*~🧘♂☆*~🪷三昧☆*~
禅で云う「三昧」とは…
“全身全霊”その事に徹し成り切り、自性を失わないこと。
どんな状況で合っても、精神を一つの事に集中し、無心で物事にあたる事です。
例えば…
仕事をしている時は仕事だけに没頭する事。
食事をする時は食べる事だけに、遊ぶ時は遊びに集中する。
これら全てが「一行三昧」です。
現代人は音楽を聞きながら仕事をしたり、テレビを見ながら食事をしたりします。
一度に二つの事が出来て時間が有効に使っている気がしますが、どちらも中途半端で、有ることを忘れたり、必要な事を抜かしたりと、満足のいく結果が得られ無いものです。
🪷一行☆*~🧘☆*~🪷三昧☆*~
迷いや悩みのがある時は、今やるべき事に集中しましょう。
悩みの多くは、自分が作り出す妄想です。
どんな事も「一行三昧」を、全身全霊で行っていれば、雑念や妄想が入り込む余地は有りませんネェ。
散らかった部屋の片付け、あるいは根気のいる手仕事。
初めは大変に思えたのに、いつしか時間を忘れて没頭し、ふと気づくと仕事のほとんどが片付いていた……という経験は無いでしょうか⁉️。
意に沿わない事であれ、好きな事であれ、雑念を捨て、「雑念を捨てる」という考えさえ捨てて、いま自分の目の前にある仕事に全身全霊を傾けて没頭して見てください。
後でわれに返ってみれば、その体験が何物にも代えがたい豊かな時間であったと気付くでしょう。
🪷一行☆*~🧘♀☆*~🪷三昧☆*~
『一行三昧』の…
《一行》は「常行一直心(じょうぎょう いちじきひん)」〔常(つね)に一直心(いちじきしん)を行(ぎょう)ず〕の言葉から来たと云われています。
《直心》(じきしん)とは…
真っ直ぐで、何な計(はか)らいも分別執着も無い、純心な“こころ”です。
その「常行一直心」と「三昧」を合わせたものが『一行三昧』です。
もともと「三昧」は、仏教語で、禅の修行の過程において、雑念が払われ、純粋に一点に集中し、その事に成り切った状態を云います。
念仏など、一つの作業を専心に行う行法でも有ります。
🪷一行☆*~🧘♂☆*~🪷三昧☆*~
「精神を一つのことに集中し統一する」ことは…
絶対世界に入定(にゅうじょう)したことです。
すなわち、「禅定」(ぜんじょう)のこと。
「一行三昧」この境地に入る為にはザ禅が一番です。
ザ禅に限ることではなく、今いる場所こそ絶好の修行の場所であるということです。
茶も湯においても、その一つ一つの点前(たてまえ=茶をたてる事、その作法)の動作を無心に成り切ってやれば、それが「一行三昧」です。
前日にお話した「本来無一物」の慧能禅師は…
「どんな環境であれ、立ったり座ったり、寝たり起きたりの行住坐臥(ぎょうじゅうざが)において、心が純一無雑(じゅんいつむざつ)ならば、わざわざ禅道場で坐禅をしなくても、即今即処(そっこんそくしょ=今ここ)が極楽浄土となる。
これを一行三昧と名づける」と云いました。
《純一無雑》(じゅんいつむざつ)とは…
一つの事に夢中になって、うそ偽りのない素直な事、飾り気や邪(よこし)まな心が無いこと。
《純一》(じゅんいつ)とは…
混じり気なく、飾り気のない事。
《無雑》(むざつ)とは…
混じり気のない事〜「ぶさつ」とも読みます。
🪷一行☆*~🧘☆*~🪷三昧☆*~
㊟ 漢字の「一」(いち)を「●」(黒丸)書いています。
「一行」は「●行」です。
真っ黒く塗らずに◯丸に笑顔を描いています。
これからも◯丸に笑顔を描いて有るものは「一」=「●」(いち)の漢字です。
宜しくネェ。
✨あなたも🙏ほりさんも…
人生は●生に●度の出会い…大切にしよう『●期●会』となります。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240626/05/papa2488/c3/84/j/o1080070915456006414.jpg?caw=800)