こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 6―25

 ほりさんの笑顔の『一期一会』

 【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。

 《心に響く…禅のことば》

 【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】

 禅は“こころ”です。

 🪷本来☆*~🧘‍♀☆*~🪷無一物☆*~

 『本来無一物』
 (ほんらい むいちもつ)

 【生まれながらに持っているものなど何ひとつ無い】

と云うことです。 

 人は生まれたときは、何も持っていません。
 もともとスッポンポンの丸裸⁉️です。(笑)

 存在する物は、本来すべて“空”であるから、我が物として執着すべきものは何ひとつ無いと云う禅の教えです。

 一切のものから自由自在になった心境を表わしています。

 🪷本来☆*~🧘‍♂☆*~🪷無一物☆*~

 ✨本来無一物…
 一年中、季節を問わず、禅の中でも心に響く、好きなことばです。

 「無一物」…
 この“ゼロの心境”で生きていれば、心配事もなく楽しく前を歩くことが出来ます。

 物事に執着したり、心にとらわれるものなど、一切❗何も無いからです。

 何故なら、この世は絶対の「無」と「空」であり、「分別や差別」の相対的観念など有り得ないからです。

 この事を分かって頂きたいです。

 【分別・差別】は、私たちが勝手に付けた判断だからです~

 本来の純粋な心で“無一物”の境地に至れば、全ての物事は限りなく広がる世界が現れて来るでしょう。

 🪷本来☆*~🧘☆*~🪷無一物☆*~
 
 『本来無一物』は、禅の初師・達磨大師から六祖・慧能(えのう)禅師まで、その教えは一子相伝=(禅の奥義を一人に伝えること)で伝承されて来ました。

 その第六祖を決める際に、慧能が詠(よ)んだ詩の言葉を紹介します。

 慧能禅師は、もともと米つきの寺男として住み着き、読み書きも分からずに仏門に入り、仲間からバカにされ、相手にしてもらえない毎日でした。

 先輩の神秀(じんしゅう)上座の悟りの偈(げ=仏典の中の詩のこと、仏や菩薩の徳をたたえ、教えを述べた詩)の貼り紙を見た慧能は、若い僧から意味を聞いて、自分の見解(けんげ=物事に対する考え方や意見)を書いてもらい、神秀の偈の横に貼りました。

 師匠の弘忍(ぐにん)禅師が、二人の偈を見て、秘かに慧能の大悟を認め後継者として印可(いんか=師僧が、弟子の修行者が悟りを得たことを証明認可すること)を与えます。

 🪷本来☆*~🧘‍♀☆*~🪷無一物☆*~

 神秀(じんしゅう)の偈…

 「身は是れ菩提樹(ぼだいじゅ)、心は明鏡(めいきょう)台の如し。時々勤めて払拭(ほつしき)して、塵埃(じんあい)を惹(ひ)かしむること勿(なか)れ」~

 【悟りの境地とは、鏡のようなもの、煩悩という塵が着くと曇ってしまう。常に修行して清めなければならない】

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 神秀の偈に、対抗して
 慧能(えのう)が詠んだ偈…

 「菩提本樹(ぼだいもとじゅ)無し、明鏡(めいきょう)も亦(また)台(だい)に非(あら)ず。本来無一物、何(いず)れの処にか塵埃(じんあい=ちり·ほこり)を惹(ひ)かん」…

 【本来、悟りの樹(き)なんか無い。鏡は物(者)が来ればそのままに映り、去れば消えるように、本来の心も一切の執着がない。

 また鏡の前にキレイが来れば、キレイに映す。汚いものが来れば、やっぱり汚いまま映す。けれども鏡はキレイになったり、汚くなったりしない。

 同じように本来の心(自己・真の人間性)も「清濁(せいだく)=心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことの例え」に関与しない】と…

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 「慧能の偈」ほりさん超訳…

 【本来無一物なのだから、鏡が汚れることもないだろう】(笑)

 “本来無一物”
 (ほんらい むいちもつ)とは…

 【本来、一切のものは「無・空」であるから、この世に執着すべきものは一つもなく、一切のものから自由自在になる】

と云う意味です。

 こだわりを捨てれば、いつでも「自由」でいられますョ。

 🪷本来☆*~🧘‍♀☆*~🪷無一物☆*~

 ✨あなたは、どちらの偈(詩)が好きですか⁉️。(笑)

 ただ“本来の心”は鏡のような形など全く有りません。

 本来の心は一物の影響を全く受けて居なくて、自由自在に働くと慧能は詠(うた)ったのですネェ。

 一切は“無・空”何ですョ。(笑)

 たとえ“悟り”であっても、それに執着すると陽の光が影を生むように「煩悩」が生まれ、それが迷いや苦しみを生じさせることに成ります。

 常に執着を持たないように心掛けることです。

 それを日常で実践することで、“自分の本当の心”を自由自在にすることが出来るのですョ。

 🪷本来☆*~🧘‍♂☆*~🪷無一物☆*~

 世間の人は…カネ、かね、金、と騒いで、大事にしているのは、自然界では人間だけです。

 周りを見れば、財産を失うのは嫌だ❗。
 肩書きを守りたい⁉️。
と云う塩梅ですネェ。

 自然を見て下さい…
 春から夏は、美しい声で鳴くウグイスや野鳥。
 秋の夜を楽しませるコーロギに鈴虫、昼はキリギリス。

 一銭も持たずにたくましく、一生を全うして居ますネェ。

 貧乏暮らしが慣れてる、🙏ほりさんは、お金がないから、明日の心配も不安も何一つ無いですョ。(笑)
 
 おぎゃあと生まれて来たときは、無一文。
「はい、さょうなら…」と、この世を去るときも一銭も持って行かれない❗あの世です。

 ん千萬~ん億円貯めても⁉️、あの世に持っていけない、このご時世ですネェ。

 すっぽんポン丸裸⁉️で生きましょう。(笑)

 禅は“こころ”ですョ

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘‍♀🪷一期一会☆*~

 私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。

 人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。

 でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。

 朝のウオーキングで出会って挨拶する人…

 犬の散歩で時々会って挨拶する人…

 知人を介して一度だけ話した人…

 いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……

 顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
 
 そして、こうした出会いも「一期一会」です。

 🪷一🍓一🖼☆*〜🧘‍♂🪷一期一会☆*〜

 《一期》(いちご)とは…
 人間の一生です。

 《一会》(いちえ)とは…
 ただ一度の出会いを云います。

 元々は茶会の心得を説いた言葉です。
 現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。

 【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
       井伊直弼「茶湯一会集」より

 茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~

 出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」

 それが「一期一会の心」です。

 毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。

 でも、今日と同じ日は二度と来ません。

 お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。

 今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。

 禅は“こころ”ですョ

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘‍♀🪷一期一会☆*~