こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 6―5

 ほりさんの笑顔の『一期一会』

 【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。

 《心に響く…禅のことば》

 【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】

 禅は“こころ”です。

 🌸茶禅☆*~🧘‍♀☆*~🌸一味☆*~

 『茶禅一味』
 (ちゃぜん いちみ)

 【「茶の湯(茶道)の心へ」と「禅の極意」とは一つであり、求めるところは禅と同じであるという教え】

です~

 「茶禅一致」(ちゃぜんいっち)ともいいます。

 🌸茶禅☆*~🧘‍♂☆*~🌸一味☆*~

 5月21日の「和敬清寂」(わけいせいじゃく)で出て来た言葉です。

 室町時代に【茶味(さみ)は禅味(ぜんみ)を兼ねる】という言葉が生まれました。

 《茶味と禅味》とは…
  茶(道)は禅から産まれ一体で有ると言うことです。

 「茶の味」と「禅の味」が一体のものであることを悟ることで、人間形成において茶道と禅宗に差異(違い)は無いということです。

 茶の湯の大成者である千利休(せんのりきゅう)は、「茶禅一味」の悟りの境地について…

 『小座敷の茶の湯は第一仏法をもって修行得道(とくどう=悟りを開くこと・悟道)することなり。

 水を運び薪(まき)を取り、
 湯を沸(わ)かし茶を点(た)てて、
 仏に供(そな)へ人にも施(ほどこ)し、
 我も飲み、
 花を立て香(こう)を焚(た)きて、
 みなみな仏祖の行(おこな)ひの跡を学ぶなり』

と述べています。

 🌸茶禅☆*~🧘☆*~🌸一味☆*~

 禅一味(ぜんいちみ)の茶道(さどう)書に『禅茶録(ぜんちゃろく)』と云うものもあります。

 千利休の高弟であった山上宗二(やまのうえのそうじ=1544年〜1590年)の自筆の秘伝書『山上宗二記』には“一期一会”の記述と並んで『茶湯は禅宗なり』という言葉も残されています。

 茶聖・千利休は、堺や京都の禅寺で本格的に修行をされていました。

 今でも茶道の家元や師範は、禅の師家について修行をしている人も多いそうです。
 また、茶席の床の間に掛けられた軸には、季節や茶席のテーマに合わせた多くの禅語が選ばれています。

 お茶と“ザ禅”は切っても切れない“ご縁”なのですョ。

 ✨あなたと🙏ほりさんの“ご縁”の様ですね。(笑)

 ほりさんの『一🍓一🖼』の絵は、規制はありません。
 気に入った「禅の言葉」が有りましたらプリントコピーしてかまいません。

 著作権、特許権は有りませんョ。(笑)

 禅は“こころ”です

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘‍♀🪷一期一会☆*~

 私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。

 人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。

 でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。

 朝のウオーキングで出会って挨拶する人…

 犬の散歩で時々会って挨拶する人…

 知人を介して一度だけ話した人…

 いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……

 顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
 
 そして、こうした出会いも「一期一会」です。

 🪷一🍓一🖼☆*〜🧘‍♂🪷一期一会☆*〜

 《一期》(いちご)とは…
 人間の一生です。

 《一会》(いちえ)とは…
 ただ一度の出会いを云います。

 元々は茶会の心得を説いた言葉です。
 現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。

 【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
       井伊直弼「茶湯一会集」より

 茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~

 出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」

 それが「一期一会の心」です。

 毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。

 でも、今日と同じ日は二度と来ません。

 お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。

 今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。

 禅は“こころ”ですョ

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘‍♀🪷一期一会☆*~