こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 5―30
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
『咄々々力口希』
(とつとつとつ·りき·い·き)
【チッ、チッ、チッ…
えいっ❗やぁ❗とぉ❗】
と雲門禅師が修行僧たちに向かって、「思慮分別にわたれば、未来永劫、決して悟ることなど出来ない」と警告し、「チッチッチッえいっ!」と叫んだとあります。
言亡絶慮(ぜんぼうぜっりょ=言葉では言い表すことが出来ず、考えても思慮が及ばないこと)を端的に示す働きの叫びです。
または、そうさせる時の気勢です。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
🙏ほりさん(参)禅…こころの道では…
「えいっ❗やぁ❗とぉ❗」と訳します。
「喝(かつ)」と同じように、この漢字自体は意味のない言葉です。
《咄々々》(とつとつとつ)とは…
舌打ちをする音。
感心した時、意外さに驚いた時、誉められる時、逆に否定する時に発する音を表す擬音語です。
ここでは、「なにくそっ❗」という意気込みです。
「咄」(とつ)一字では…
叱咤(しった)の声、注意を促(うなが)す声。または叱ること。
伝統的には悟りの世界へ一超直入する「トォーッ」という気合いを表す言葉です。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
「力と口」(ちからとくち)の二字は、㘞(い)の字を分解したものです。
「㘞」(い)は、舟を曳(ひ)く掛け声、力を出す時の声で、伝統的には「い」と読みます。
「口」(くち)の字には、めぐる、驚くの意味があり、代わりに㘞・韋(い)・囲(い)などの字を用いることもあります。
擬音語であって漢字そのものには意味がありません。
「希」(き)は、強めの助字。
力㘞希(りき·い·き)の三文字で「えいっ❗」という気合いの声です。
禅では、一切の妄想や分別を打ち砕き、大事を悟った刹那(せつな=一瞬の間)に思わず発する声として、しばしば用いられます。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
「㘞(りき)唏(いき)咄(とつ)」の三字(三字とも掛け声)だったものが「力」「口」「希」に分けて「力口希咄(りき·い·き·とつ)」と四字で書かれるようになりました。
さらに一部が先祖返りして「力㘞希咄(りき·い·き·とつ)」になったものが、千利休(せんのりきゅう)の最期の言葉で使われた。
利休さんの最期の言葉は、かなりパッションにあふれているパワフルなもので、死の四日前に書いたと伝わっています。
人生七十 (じんせいななじゅう)
力㘞希咄 (りきいきとつ)
吾這宝剣 (わがこのほうけん)
祖仏共殺 (そふつともにころす)
〔千利休 遺偈(ゆいげ)〕
提ル我得具足の一ッ太刀
(ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち)
今此時ぞ天に抛
(いまこのときぞてんになげうつ)
(千利休 辞世の句)
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
え❗、利休さんはお武家さんでしたっけ❓、 と思うような強い言葉でもあり、簡単には意味が分からない、解釈を拒絶するような言葉でもあります。
千利休(せんのりきゅう)は、大阪堺のビジネスマンであり、「利休好(ごの)み」と称される無印良品的なプロダクトの数々を生み出したデザイナーでもありました。
政治家として政権の中枢でも活躍した記録が残されています。
何よりも利休さんは、禅と喫茶を中心とする「茶の湯」という芸術を完成させたアーティストだったからです。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
織田信長に仕え、豊臣秀吉にも仕え、秀吉との関係は、いささか複雑だったようです。
信長時代には、利休が秀吉を呼び捨てにしている手紙が残っています。(利休は秀吉より一回り以上も年上)。
あるいは、秀吉が利休を切腹させたその翌年、秀吉が新しい城の内装を「りきうにこのませ候(そうろう)えて利休が好むもののように」作れ、と命じた手紙が残っていたりもします。
そう、利休さんの最期は、豊臣秀吉の命令を受けた切腹だったのです。
これで利休さんは伝説の茶の湯スターとして、堂々の殿堂入りを果たすことになります。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
最後の言葉にある「宝剣」や「一ッ太刀」は、茶の湯のメタファー(たとえ話=比喩ひゆ)だとする解釈があります。
すでに齢(よわい)古稀に達していた彼は、今更生きながらえて自己の生涯を掛けた茶道を政治に屈服させるよりは、芸術の独立を守って従容として自刃する道を選んだのではないでしょうか⁉️。
利休さんは最後まで昂然(こうぜん=自分の能力や行き方に自信・誇りをもち、意気が盛んなさま)として秀吉の意思に屈せず、ここでも秀吉に肩すかしをくわせて、ついに秀吉の征服の及びえない悠久の世界に超入したのです。
利休さんの辞世の偈(げ)にみる鋭い気迫に、秀吉の暴力的征服に対する最後の翻身(ほんしん=迷いを転じて、ただちに悟ること)の気合ともいうべきものを感ずるのは、ほりさんの主観的妄想に過ぎないのでしようか⁉️。
(芳賀幸四郎「利休の切腹とその時代」、引用させて頂きました)
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
🙏ほりさんにとっても利休さんは最高のスターなので、更に吹っ飛んだ妄想をしてしまいます。
遺偈を書いたその時にはもう、確執を重ねた秀吉のことなんて、眼中に無くなっていたんでしょうネ。
「祖仏共殺(そふつともにころす)」、出し抜けに出されると怖い言葉ですが、ご先祖様も仏様も殺してしまうというのはすなわち…
先祖から続く過去も、極楽を約束する未来も、どちらをも拒絶して、現在ただ今このときに生きるのだ❗、という宣言とも取れます。
それを果たす「吾這宝剣(わがこのほうけん)」とは…
単に芸術としての茶の湯などではなく、茶の湯も政治も商売も全部ひっくるめた利休さんの生き様そのものであり、その「我得具足(わがえぐそく)の一ッ太刀」を「天に抛(なげうつ)」と、死を前にして高らかに詠(うた)ったのでしょう。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
過去はいらない、未来もいらない、俺はただ今を生きる、俺が得たこの名剣が、俺がこれまで得てきた全てのものが、俺にそう告げるのだ。
そして俺はこの剣も、もう天に投げ打ってお返しすることにしたぜ。
「えいっ❗、やぁ❗、とぉっ❗」
これを七十のじいさんが言い遺したのだ。王様に殺されるその四日前に。
もう、かっこよすぎますネ。
参考資料:
・芳賀幸四郎著「禅語の茶掛 又々 一行物」
・唐木順三著「千利休」
利休忌:
千利休の自刃は天正十九年二月二十八日。
新暦で言うと三月末頃、千家では今も毎年、利休忌として彼をしのぶ茶会を開く。
利休忌では茶華として菜の花が選ばれます。
菜の花は、彼が愛した花とも伝えられる。
🙏長々となりましたことをお詫びいたします。🙇
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
『咄々々力口希』
(とつとつとつ·りき·い·き)
【チッ、チッ、チッ…
えいっ❗やぁ❗とぉ❗】
と雲門禅師が修行僧たちに向かって、「思慮分別にわたれば、未来永劫、決して悟ることなど出来ない」と警告し、「チッチッチッえいっ!」と叫んだとあります。
言亡絶慮(ぜんぼうぜっりょ=言葉では言い表すことが出来ず、考えても思慮が及ばないこと)を端的に示す働きの叫びです。
または、そうさせる時の気勢です。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
🙏ほりさん(参)禅…こころの道では…
「えいっ❗やぁ❗とぉ❗」と訳します。
「喝(かつ)」と同じように、この漢字自体は意味のない言葉です。
《咄々々》(とつとつとつ)とは…
舌打ちをする音。
感心した時、意外さに驚いた時、誉められる時、逆に否定する時に発する音を表す擬音語です。
ここでは、「なにくそっ❗」という意気込みです。
「咄」(とつ)一字では…
叱咤(しった)の声、注意を促(うなが)す声。または叱ること。
伝統的には悟りの世界へ一超直入する「トォーッ」という気合いを表す言葉です。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
「力と口」(ちからとくち)の二字は、㘞(い)の字を分解したものです。
「㘞」(い)は、舟を曳(ひ)く掛け声、力を出す時の声で、伝統的には「い」と読みます。
「口」(くち)の字には、めぐる、驚くの意味があり、代わりに㘞・韋(い)・囲(い)などの字を用いることもあります。
擬音語であって漢字そのものには意味がありません。
「希」(き)は、強めの助字。
力㘞希(りき·い·き)の三文字で「えいっ❗」という気合いの声です。
禅では、一切の妄想や分別を打ち砕き、大事を悟った刹那(せつな=一瞬の間)に思わず発する声として、しばしば用いられます。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
「㘞(りき)唏(いき)咄(とつ)」の三字(三字とも掛け声)だったものが「力」「口」「希」に分けて「力口希咄(りき·い·き·とつ)」と四字で書かれるようになりました。
さらに一部が先祖返りして「力㘞希咄(りき·い·き·とつ)」になったものが、千利休(せんのりきゅう)の最期の言葉で使われた。
利休さんの最期の言葉は、かなりパッションにあふれているパワフルなもので、死の四日前に書いたと伝わっています。
人生七十 (じんせいななじゅう)
力㘞希咄 (りきいきとつ)
吾這宝剣 (わがこのほうけん)
祖仏共殺 (そふつともにころす)
〔千利休 遺偈(ゆいげ)〕
提ル我得具足の一ッ太刀
(ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち)
今此時ぞ天に抛
(いまこのときぞてんになげうつ)
(千利休 辞世の句)
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
え❗、利休さんはお武家さんでしたっけ❓、 と思うような強い言葉でもあり、簡単には意味が分からない、解釈を拒絶するような言葉でもあります。
千利休(せんのりきゅう)は、大阪堺のビジネスマンであり、「利休好(ごの)み」と称される無印良品的なプロダクトの数々を生み出したデザイナーでもありました。
政治家として政権の中枢でも活躍した記録が残されています。
何よりも利休さんは、禅と喫茶を中心とする「茶の湯」という芸術を完成させたアーティストだったからです。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
織田信長に仕え、豊臣秀吉にも仕え、秀吉との関係は、いささか複雑だったようです。
信長時代には、利休が秀吉を呼び捨てにしている手紙が残っています。(利休は秀吉より一回り以上も年上)。
あるいは、秀吉が利休を切腹させたその翌年、秀吉が新しい城の内装を「りきうにこのませ候(そうろう)えて利休が好むもののように」作れ、と命じた手紙が残っていたりもします。
そう、利休さんの最期は、豊臣秀吉の命令を受けた切腹だったのです。
これで利休さんは伝説の茶の湯スターとして、堂々の殿堂入りを果たすことになります。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
最後の言葉にある「宝剣」や「一ッ太刀」は、茶の湯のメタファー(たとえ話=比喩ひゆ)だとする解釈があります。
すでに齢(よわい)古稀に達していた彼は、今更生きながらえて自己の生涯を掛けた茶道を政治に屈服させるよりは、芸術の独立を守って従容として自刃する道を選んだのではないでしょうか⁉️。
利休さんは最後まで昂然(こうぜん=自分の能力や行き方に自信・誇りをもち、意気が盛んなさま)として秀吉の意思に屈せず、ここでも秀吉に肩すかしをくわせて、ついに秀吉の征服の及びえない悠久の世界に超入したのです。
利休さんの辞世の偈(げ)にみる鋭い気迫に、秀吉の暴力的征服に対する最後の翻身(ほんしん=迷いを転じて、ただちに悟ること)の気合ともいうべきものを感ずるのは、ほりさんの主観的妄想に過ぎないのでしようか⁉️。
(芳賀幸四郎「利休の切腹とその時代」、引用させて頂きました)
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
🙏ほりさんにとっても利休さんは最高のスターなので、更に吹っ飛んだ妄想をしてしまいます。
遺偈を書いたその時にはもう、確執を重ねた秀吉のことなんて、眼中に無くなっていたんでしょうネ。
「祖仏共殺(そふつともにころす)」、出し抜けに出されると怖い言葉ですが、ご先祖様も仏様も殺してしまうというのはすなわち…
先祖から続く過去も、極楽を約束する未来も、どちらをも拒絶して、現在ただ今このときに生きるのだ❗、という宣言とも取れます。
それを果たす「吾這宝剣(わがこのほうけん)」とは…
単に芸術としての茶の湯などではなく、茶の湯も政治も商売も全部ひっくるめた利休さんの生き様そのものであり、その「我得具足(わがえぐそく)の一ッ太刀」を「天に抛(なげうつ)」と、死を前にして高らかに詠(うた)ったのでしょう。
🪷咄々々☆*~🧘♀☆*~🪷力口希☆*~
過去はいらない、未来もいらない、俺はただ今を生きる、俺が得たこの名剣が、俺がこれまで得てきた全てのものが、俺にそう告げるのだ。
そして俺はこの剣も、もう天に投げ打ってお返しすることにしたぜ。
「えいっ❗、やぁ❗、とぉっ❗」
これを七十のじいさんが言い遺したのだ。王様に殺されるその四日前に。
もう、かっこよすぎますネ。
参考資料:
・芳賀幸四郎著「禅語の茶掛 又々 一行物」
・唐木順三著「千利休」
利休忌:
千利休の自刃は天正十九年二月二十八日。
新暦で言うと三月末頃、千家では今も毎年、利休忌として彼をしのぶ茶会を開く。
利休忌では茶華として菜の花が選ばれます。
菜の花は、彼が愛した花とも伝えられる。
🙏長々となりましたことをお詫びいたします。🙇
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~