こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 5―13
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします~
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷青山☆*~🧘♀☆*~🪷元不動☆*~
『青山元不動』
〔青山は元から不動〕
(せいざんは もとからふどう)
【青くそびえ立つ山は、元から不動である】
という意味です。
🪷青山☆*~🧘♂☆*~🪷元不動☆*~
《青山》と言っても、何も青い山だけで無くてもいいのです。
山は雨が降ろうが、槍が降ろうが、風が吹こうが…泰然自若(たいぜんじじゃく)❗。
堂々として動ずる所が有りません。
《泰然》は…
落ち着いて物事に動じない事。
《自若》は…
何に対してもあわてず、驚かず、落ち着いている事。
《泰然自若》とは…
落ち着いていて、どんなことにも動じない事。
🪷青山☆*~🧘☆*~🪷元不動☆*~
『青山元不動』は、「白雲自去来」と対句に成っています〜
前句と後句を入れ替えて…
「白雲は自(おの)ずから去来すれども、青山は元から動かず」と読めば、もっと分かり易く意味がはっきりします。
【白雲が、何処からともなく湧き上がって来ます。
しかし、高い山だといっても山に遮(さえぎ)られることなく、東に西に、右に左に、上に下に自由自在に去来します。
しかも、山は悠然として、少しも動じません。】
《白雲》は…
煩悩や妄想などの例えです。
雲が次から次へと湧き起こり去来しても、山は元の姿のままそこに有るように、人間には生まれながら、本来の「仏性」を兼ね備えています。
これに気づくことが出来れば煩悩や妄想の雲に惑わされること無く良い状態で生きていられますョと云う教えです。
🪷青山☆*~🧘♀☆*~🪷元不動☆*~
「青山は元から不動」とは…
山の様に何事にも動じない“信念(軸)”と雲の様にどんな形にも変化出来る様な”柔軟な心“を併せ持つ事でより良く生きていける。そんな意味の禅語です。
【強さと弱さ】
人間は、弱い生き物です。
そして強がる生き物です。
人に流されたり。
人に強く言えなかったり。
上下関係で抑え込まれたり。
また、弱く見られないように強がってみたり。
これらはすべて、弱い心と凝り固まった心が引き起こしている事です。
だからこそ、泰山(守護の山)の様な、しっかりとした信念(軸)を持ち、雲の様などんな事にでも柔軟に対応できる心を持つ事です。
世の中をスイスイと泳ぐように、生き易くなって行きますョ~
🪷青山☆*~🧘♂☆*~🪷元不動☆*~
✨あなたも🙏ほりさんも…
いつ、何処で、何をするにしても、万縁万境(ばんえんばんきょう=周囲の色々な現象)に「心を執(とら)われて」右往左往すること無く…
山のように少しも動じることなく、泰然として“我が道”を貫きましょう。
ドッシリと構えて生きましょうネェ。(笑)
こんなお話が有ります。聞いてくださいネェ。
(◕ᴗ◕✿)〜( ´◡‿ゝ◡`)〜(✿^‿^)
人によく思われたい✨わたし❗
変に思われたくない✨わたし❗
いつのまにか見栄をはっている✨わたし❗
いつのまにか自分を失くしている✨わたし❗
✨わたしは、他人の目が気になる❗
✨わたしは、どうして、こんなに他人の目が気になるのだろう❗
どこかで読んだ詩の一節ですネェ。
こんな面白い咄(はなし)を聞いたことがあります。
(◕ᴗ◕✿)〜( ´◡‿ゝ◡`)〜(✿^‿^)
父と子の農夫が仕事を終え、馬を引いて家路につきます。
通行人が彼ら親子を評しています。
「バカな人間だな。馬の背があいている。誰か乗れば疲れなくてすむのに」
と。
それを聞いた息子は、なるほどと思い、父を馬に乗せて、今度は自分が馬の手綱を引いて道を急ぎます。
その前方からきた通行人は、またすれ違いに、暗に父親を非難するように…
「かわいそうに、子どもも疲れているだろう」
と、ひとりごとをいいます。
それを聞いた馬上の父はあわてて下へ降りて、遠慮する息子をむりやり馬の背に乗せ、代わって馬を引きます。
しばらくしてまた数名の通行人が、こちらにやってきます。
彼らは、この父子の姿を見て、あきれたように…
「老いた父を歩かせて、いい若者がのんびりと馬の背にゆられている。
世の中にはこんな親不孝者もいるんだなぁ!」
と。
息子は恥ずかしそうに馬から飛び降りて父と相談をします。
そして誰からも文句をいわれないようにと、親子二人仲よく馬にまたがります。
今度こそ誰からも一言もいわれずにすむかと思っていたら…
「大の男が二人も乗るなんて、何と残酷な人たちだろう。
馬がかわいそうだと気づかないのだろうか!」と激しい痛罵(つうば)の声を耳にします。
父と子は困り果てます。そして相談の結果、今度は二人して馬をかついで帰ります。
人々はそれを見てびっくり仰天、やがて大きな声で笑いこけます……。
(◕ᴗ◕✿)〜( ´◡‿ゝ◡`)〜(✿^‿^)
「白雲は自(おの)ずから去来すれども、青山は元から動かず」と、じっくり噛みしめて味わいたい句ですネェ~
🪷青山☆*〜🧘☆*〜🪷元不動☆*〜
“心を執(とら)われる”とは、執着することです。
執着は煩悩です~煩悩の火を小さくすことが✨あなたも🙏ほりさんも〜幸せになる1番の近道ですネェ~(笑)
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
「そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり」
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出逢いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出逢いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします~
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷青山☆*~🧘♀☆*~🪷元不動☆*~
『青山元不動』
〔青山は元から不動〕
(せいざんは もとからふどう)
【青くそびえ立つ山は、元から不動である】
という意味です。
🪷青山☆*~🧘♂☆*~🪷元不動☆*~
《青山》と言っても、何も青い山だけで無くてもいいのです。
山は雨が降ろうが、槍が降ろうが、風が吹こうが…泰然自若(たいぜんじじゃく)❗。
堂々として動ずる所が有りません。
《泰然》は…
落ち着いて物事に動じない事。
《自若》は…
何に対してもあわてず、驚かず、落ち着いている事。
《泰然自若》とは…
落ち着いていて、どんなことにも動じない事。
🪷青山☆*~🧘☆*~🪷元不動☆*~
『青山元不動』は、「白雲自去来」と対句に成っています〜
前句と後句を入れ替えて…
「白雲は自(おの)ずから去来すれども、青山は元から動かず」と読めば、もっと分かり易く意味がはっきりします。
【白雲が、何処からともなく湧き上がって来ます。
しかし、高い山だといっても山に遮(さえぎ)られることなく、東に西に、右に左に、上に下に自由自在に去来します。
しかも、山は悠然として、少しも動じません。】
《白雲》は…
煩悩や妄想などの例えです。
雲が次から次へと湧き起こり去来しても、山は元の姿のままそこに有るように、人間には生まれながら、本来の「仏性」を兼ね備えています。
これに気づくことが出来れば煩悩や妄想の雲に惑わされること無く良い状態で生きていられますョと云う教えです。
🪷青山☆*~🧘♀☆*~🪷元不動☆*~
「青山は元から不動」とは…
山の様に何事にも動じない“信念(軸)”と雲の様にどんな形にも変化出来る様な”柔軟な心“を併せ持つ事でより良く生きていける。そんな意味の禅語です。
【強さと弱さ】
人間は、弱い生き物です。
そして強がる生き物です。
人に流されたり。
人に強く言えなかったり。
上下関係で抑え込まれたり。
また、弱く見られないように強がってみたり。
これらはすべて、弱い心と凝り固まった心が引き起こしている事です。
だからこそ、泰山(守護の山)の様な、しっかりとした信念(軸)を持ち、雲の様などんな事にでも柔軟に対応できる心を持つ事です。
世の中をスイスイと泳ぐように、生き易くなって行きますョ~
🪷青山☆*~🧘♂☆*~🪷元不動☆*~
✨あなたも🙏ほりさんも…
いつ、何処で、何をするにしても、万縁万境(ばんえんばんきょう=周囲の色々な現象)に「心を執(とら)われて」右往左往すること無く…
山のように少しも動じることなく、泰然として“我が道”を貫きましょう。
ドッシリと構えて生きましょうネェ。(笑)
こんなお話が有ります。聞いてくださいネェ。
(◕ᴗ◕✿)〜( ´◡‿ゝ◡`)〜(✿^‿^)
人によく思われたい✨わたし❗
変に思われたくない✨わたし❗
いつのまにか見栄をはっている✨わたし❗
いつのまにか自分を失くしている✨わたし❗
✨わたしは、他人の目が気になる❗
✨わたしは、どうして、こんなに他人の目が気になるのだろう❗
どこかで読んだ詩の一節ですネェ。
こんな面白い咄(はなし)を聞いたことがあります。
(◕ᴗ◕✿)〜( ´◡‿ゝ◡`)〜(✿^‿^)
父と子の農夫が仕事を終え、馬を引いて家路につきます。
通行人が彼ら親子を評しています。
「バカな人間だな。馬の背があいている。誰か乗れば疲れなくてすむのに」
と。
それを聞いた息子は、なるほどと思い、父を馬に乗せて、今度は自分が馬の手綱を引いて道を急ぎます。
その前方からきた通行人は、またすれ違いに、暗に父親を非難するように…
「かわいそうに、子どもも疲れているだろう」
と、ひとりごとをいいます。
それを聞いた馬上の父はあわてて下へ降りて、遠慮する息子をむりやり馬の背に乗せ、代わって馬を引きます。
しばらくしてまた数名の通行人が、こちらにやってきます。
彼らは、この父子の姿を見て、あきれたように…
「老いた父を歩かせて、いい若者がのんびりと馬の背にゆられている。
世の中にはこんな親不孝者もいるんだなぁ!」
と。
息子は恥ずかしそうに馬から飛び降りて父と相談をします。
そして誰からも文句をいわれないようにと、親子二人仲よく馬にまたがります。
今度こそ誰からも一言もいわれずにすむかと思っていたら…
「大の男が二人も乗るなんて、何と残酷な人たちだろう。
馬がかわいそうだと気づかないのだろうか!」と激しい痛罵(つうば)の声を耳にします。
父と子は困り果てます。そして相談の結果、今度は二人して馬をかついで帰ります。
人々はそれを見てびっくり仰天、やがて大きな声で笑いこけます……。
(◕ᴗ◕✿)〜( ´◡‿ゝ◡`)〜(✿^‿^)
「白雲は自(おの)ずから去来すれども、青山は元から動かず」と、じっくり噛みしめて味わいたい句ですネェ~
🪷青山☆*〜🧘☆*〜🪷元不動☆*〜
“心を執(とら)われる”とは、執着することです。
執着は煩悩です~煩悩の火を小さくすことが✨あなたも🙏ほりさんも〜幸せになる1番の近道ですネェ~(笑)
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
「そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり」
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出逢いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出逢いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~