こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 4―30
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします~
《心に響く…禅のことば》〜
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷大道☆*~🧘♀☆*~🪷通長安☆*~
『大道通長安』
❲大道長安通ず❳
(だいどう ちょうあんにつうず)
【どの道を選んでも幸せに通じている】
という意味です。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
長安は、中国の漢の時代から始まる首都で、唐時代には世界最大都市に成長した町でした。
当時は幸せのシンボルと言われた都市です。
だから、「幸せは長安に通ず」と言ったのでしょうね。
思想や宗教の違いによって真理は様々に説かれても、すべて唯一の真理に通じているということです。
また、日常的な行いの全てが悟りに直結していると趙州(じょうしゅう)和尚の言葉です。
🪷大道☆*~🧘☆*~🪷通長安☆*~
歩んでいる全ての道が、そのまま心のふるさとに繋がっています。
あれまあ、道に迷いましたか。でも道は必ず何処かに繋がっていますから大丈夫。
「大道は長安に透る」というこの言葉、「透(とお)る」は、また「通(つう)ず」とも書きます。
趙州(じょうしゅう)和尚に弟子が尋ねます、
「道とはなんですか」❓。
師が応えます、
「垣根の外にあるぞ」❗。
「そんなことを聞いておりません、(仏教の)大道のことです」❓
「大道なら長安に通じているぞ」❗。
このおやじ耄碌(もうろく)したか、と思うかも知れませんが、禅ではこの手の話がゴロゴロしています。
とり方によって意味は二つに分かれます。
一つは表面の意味で、すべての大道は長安になぞらえた本来のあり方に通じることを示すもので、「すべての道はローマに通ず」に類似します。
もう一つは、弟子の質問をはぐらかしつつ、この今の自らの現実をおいて別に仏道が有る訳では無いことを示したもの…
道は自分で歩むものなのです。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
私たちは幸せになりたいと願う時、つい簡単にそこへ辿り着く道を探そうとしてしまいます。
けれど、誰かが通った道が、✨あなたにとって相応(ふさわ)しい道かどうかは分かりません。
幸せへ辿り着く道は無数に存在しているのです。
もう✨あなたはその道の一つに立っているかも知れません。
周りの声に振り回されず、今、自分に出来ることを精一杯しながら、目標に向かって、少しずつ✨あなたの道を歩んでください。
こうすれば、いずれその道は幸せへと繋がって行くでしょう。
🪷大道☆*~🧘☆*~🪷通長安☆*~
私たちは、生活の中で様々な選択を繰り返し生きています。
例えば、朝ご飯はパンにしようか❓ご飯にしようか❓、と言う小さなことから、進学先、就職先はどうしようか、結婚は誰としようか、など様々です。
でも、どの道を選ぼうと、信じて進んで行けば幸せに辿(たど)り着けるもので、大切なのは選んだ道を “ どう生きるか ” にあると説いています。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
《大道》というのは、どういう道のことでしょう?…
その道一筋になるということです。
食事の時は食事三昧、仕事の時は仕事三昧、趣味もお酒も、遊ぶ時ももちろん、勉強の時も勉強三昧、いつでもどこでも常にその事に全身全霊を打ち込んでこそ、初めて「道」といえる、それが「大道」です。
🪷大道☆*~🧘☆*~🪷通長安☆*~
◇閑話休題(エピソード)◇
お釈迦様の弟子に周利槃特(しゅりはんどく)という愚か者がいました。
彼は自分の名前さえ覚えられなくて、板に書いてもらって首からぶら下げていたほどです。
お釈迦様の弟子になっても一向に修行が進みません。
そこでお釈迦様は彼に、「塵(ちり)を払い、垢(ほこり)を除(は)ぶかん」と教え、さらに一本の箒(ほうき)を与えます。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
与えられた箒で、寺の各所をくまなく一心に掃除をしながら、「塵を払い、垢を除ぶかん」を口ずさみ毎日毎日励みます。
そしてある日突然、ぱっと気づきが訪れました。
心にふりかかる煩悩や塵(ちり)や垢(ほこり)が払われ、悟りが開かれたのです。
箒(ほうき)で掃除する些細(ささい)な事一つでも、その事に徹すれば悟りに到ることが出来たのです。
これがまさに、幸せへの道は一つではない「大道長安に通ず」です。
禅は“こころ”ですョ~
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️〜
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう~
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう~
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります~
そして、こうした出会いも「一期一会」です~
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です~
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います~
元々は茶会の心得を説いた言葉です~
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています〜
「そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、
一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり」
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています~
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出逢いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出逢いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です~
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています〜
でも、今日と同じ日は二度と来ません〜
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です~
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️〜
禅は“こころ”ですョ~
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします~
《心に響く…禅のことば》〜
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷大道☆*~🧘♀☆*~🪷通長安☆*~
『大道通長安』
❲大道長安通ず❳
(だいどう ちょうあんにつうず)
【どの道を選んでも幸せに通じている】
という意味です。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
長安は、中国の漢の時代から始まる首都で、唐時代には世界最大都市に成長した町でした。
当時は幸せのシンボルと言われた都市です。
だから、「幸せは長安に通ず」と言ったのでしょうね。
思想や宗教の違いによって真理は様々に説かれても、すべて唯一の真理に通じているということです。
また、日常的な行いの全てが悟りに直結していると趙州(じょうしゅう)和尚の言葉です。
🪷大道☆*~🧘☆*~🪷通長安☆*~
歩んでいる全ての道が、そのまま心のふるさとに繋がっています。
あれまあ、道に迷いましたか。でも道は必ず何処かに繋がっていますから大丈夫。
「大道は長安に透る」というこの言葉、「透(とお)る」は、また「通(つう)ず」とも書きます。
趙州(じょうしゅう)和尚に弟子が尋ねます、
「道とはなんですか」❓。
師が応えます、
「垣根の外にあるぞ」❗。
「そんなことを聞いておりません、(仏教の)大道のことです」❓
「大道なら長安に通じているぞ」❗。
このおやじ耄碌(もうろく)したか、と思うかも知れませんが、禅ではこの手の話がゴロゴロしています。
とり方によって意味は二つに分かれます。
一つは表面の意味で、すべての大道は長安になぞらえた本来のあり方に通じることを示すもので、「すべての道はローマに通ず」に類似します。
もう一つは、弟子の質問をはぐらかしつつ、この今の自らの現実をおいて別に仏道が有る訳では無いことを示したもの…
道は自分で歩むものなのです。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
私たちは幸せになりたいと願う時、つい簡単にそこへ辿り着く道を探そうとしてしまいます。
けれど、誰かが通った道が、✨あなたにとって相応(ふさわ)しい道かどうかは分かりません。
幸せへ辿り着く道は無数に存在しているのです。
もう✨あなたはその道の一つに立っているかも知れません。
周りの声に振り回されず、今、自分に出来ることを精一杯しながら、目標に向かって、少しずつ✨あなたの道を歩んでください。
こうすれば、いずれその道は幸せへと繋がって行くでしょう。
🪷大道☆*~🧘☆*~🪷通長安☆*~
私たちは、生活の中で様々な選択を繰り返し生きています。
例えば、朝ご飯はパンにしようか❓ご飯にしようか❓、と言う小さなことから、進学先、就職先はどうしようか、結婚は誰としようか、など様々です。
でも、どの道を選ぼうと、信じて進んで行けば幸せに辿(たど)り着けるもので、大切なのは選んだ道を “ どう生きるか ” にあると説いています。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
《大道》というのは、どういう道のことでしょう?…
その道一筋になるということです。
食事の時は食事三昧、仕事の時は仕事三昧、趣味もお酒も、遊ぶ時ももちろん、勉強の時も勉強三昧、いつでもどこでも常にその事に全身全霊を打ち込んでこそ、初めて「道」といえる、それが「大道」です。
🪷大道☆*~🧘☆*~🪷通長安☆*~
◇閑話休題(エピソード)◇
お釈迦様の弟子に周利槃特(しゅりはんどく)という愚か者がいました。
彼は自分の名前さえ覚えられなくて、板に書いてもらって首からぶら下げていたほどです。
お釈迦様の弟子になっても一向に修行が進みません。
そこでお釈迦様は彼に、「塵(ちり)を払い、垢(ほこり)を除(は)ぶかん」と教え、さらに一本の箒(ほうき)を与えます。
🪷大道☆*~🧘♂☆*~🪷通長安☆*~
与えられた箒で、寺の各所をくまなく一心に掃除をしながら、「塵を払い、垢を除ぶかん」を口ずさみ毎日毎日励みます。
そしてある日突然、ぱっと気づきが訪れました。
心にふりかかる煩悩や塵(ちり)や垢(ほこり)が払われ、悟りが開かれたのです。
箒(ほうき)で掃除する些細(ささい)な事一つでも、その事に徹すれば悟りに到ることが出来たのです。
これがまさに、幸せへの道は一つではない「大道長安に通ず」です。
禅は“こころ”ですョ~
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️〜
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう~
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう~
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります~
そして、こうした出会いも「一期一会」です~
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です~
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います~
元々は茶会の心得を説いた言葉です~
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています〜
「そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、
一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり」
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています~
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出逢いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出逢いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です~
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています〜
でも、今日と同じ日は二度と来ません〜
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です~
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️〜
禅は“こころ”ですョ~
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~