【恋文】
離婚してしばらくの間、引越しだなんだとバタバタしていたこともあり、連絡もとれずにいると、ママはパパに文句を言い出しました。なんで娘にあわせないんだと電話口で怒鳴りちらしてきました。
パパひとりの手では働きながらおまえを育てることは無理なので、おじいちゃんやおばあちゃんにお手伝いをしてもらうため、ママの住んでいるところから離れたところに引越したのですが、そんなのは聞いていないと、また無茶を言い出すようになりました。
離婚協議書には、お金のことなども含め、お互いに条件を出し合いそれを確かめ合い、最後にこれ以上のことはなにも異議申し立てをしないと取り決めていました。しかし、そんなものは関係ないと言い出したのです。
落ち着いた状況ができるまで待ってくれというつもりでいたのですが、そんな時間をとっている余裕もなさそうです。パパは、おまえとママを会わせることにしました。
また、ママが無理難題を言い出さないようにと、パパは協議書を常に持ち歩き、何度もそれを見て、ママとパパが別れた理由、そしてママがいま、そう無理難題を言う理由がなんなのかを検証していました。
そして、行き着いてしまったのです。
ママが大切に思っていた人に。
相手の男の人は、日記をネットに書いていました。それを見てしまったのです。
そして、パパはいろいろなことを知りました。
その人が九州の人だったこと。その人がその年の2月に東京に出てきたこと。ママが離婚を言い出したり、精神的におかしくなったのもちょうどそのころでした。思い返せば、ママが友達と遊びにいくといった日や、場所がその日記に出てくることにも気づきました。そしてなにより、一番根本の、別れたと、だから家族を再生しようといっていたはずなのに、ママとの関係がまだ続いていたんだということに気づいたのです。
相手がふるさとを捨ててママを追って出てきてしまったことから、ママはどうにもこうにもいかなくなって、崩壊していったのでしょう。
ママは必死にその人の思いを受け止めようとしたに違いありません。
またその人がパパよりきっとステキで、ママにとって安心を与えてくれる人だったのでしょう。ママはその人への思いを大切にしたかったのでしょう。でも、おまえとは別れたくなかったのでしょう。その、どうしても折り合わない二つの思いに押しつぶされ、自分自身を見失ってしまったのでしょう。
すべてに合点がいきました。
パパはその瞬間、自分自身の不甲斐なさや、おまえに与えてしまった悲しい思いなど、いろいろなことがいたたまれなくなってきました。
ママとおまえをあわせる日に、そのことを手紙に書きました。
すべてわかったよ。さみしい思い辛い思いをさせてごめんね。ちゃんと落ち着いて、もしママがその男の人と一緒になるならなってもいいんじゃないか。幸せになってもいいんじゃないか。遥花はちゃんと育てるよ、と。
それ以来、ママはあれることもありませんでした。
そのことを、パパがつかさんに報告すると、つかさんは大笑いしながら、
「というかよお、相手のブログにたどりつく、おまえがわからねえよ。その執念がよお」
と笑っていました。
そして、「賞も落ちたことだしな、新しい芝居でも書いて上演しろや」と紀伊國屋ホールを押さえて、芝居をするように準備をしてくれました。
演劇人なら、憧れの紀伊國屋ホール。そこで小さいながらも大きな、うちの話をネチネチとやれというのです。
パパは、一生懸命におまえのことを思いながら本を書きました。
話はたった一日、離婚届にハンコを押す日のこと。
相手と続いていたことを知った男が女を責めるという話。
パパの知った事実、それをフィクションにして描きました。
書いていく中でパパは、もう、現代において、母性を押し付けることの限界を感じ始めてきたことに行き着いたのです。女だから母親であるという方程式にはならない時代、母性を男が持ってもいいんじゃないかという思いをこめました。
つかさんが「母性養成講座」を訴え、パパはそれに対する考えをこの作品の中で描きました。
一生懸命がんばっても母親というものになれない女。そのことにちゃんと自分で気づき、あたらしい一歩を互いのために歩み出す、そんな女の話を作ってみたいと思ったのです。
最後、二人がわかれるシーンでは、こんなシーンをつくりました。
妻、離婚届にサインをする。
夫、荷持をまとめにかかる。
そこで母子手帳を見つける。
夫 ……これ……。
妻 母子手帳。最近、すっかり見てなかったから。
夫 もうボロボロだな。(と、開く)
妻 ちゃんと書いてたんだんね。
夫 どれどれ。
……出生届出済証明
子の名前 三浦あゆみ
出生の年月日 平成16年7月28日
妻 ……。
夫 生まれたときの状態
体重2470グラム
身長48.5センチ
頭囲 33.0センチ
胸囲 30.0センチ
妻 ……。
夫 ……生まれてすぐ、多呼吸症と診断され、NICUに搬送。保育器へ。一過性の症状のため6日目でNICUを出る。何事もなくホッとした。
妻 ……。
夫 平成16年8月28日
おっぱいの吸い付きが弱く、一度に少量しか飲まないので、授乳感覚が短い。大変!
妻 ……(微笑み)。
夫 平成16年11月9日
夜も沢山眠るようになった。大分育児も楽になった。
乳児性湿疹がなかなかおさまらず、ちょっと心配。
妻 ……。
夫 平成17年3月9日
寝返りをしますか はい
妻 ……(微笑み)。
夫 平成17年6月8日
「はいはい」できるようになってから、興味の対象が広がったようで、ひとり遊びできるようになった。よく遊び、よく食べるせいか、夜は夜泣きもせず、グッスリ寝てくれる。
妻 ……。
夫 平成17年7月28日
テレビや人にむかって「バイバイ」といって手を振るように。もう少しでひとり立ちしそうな気がするが……。ご飯はびっくりするほどよく食べる。
妻 ……。
夫 平成18年9月14日
大分、自分の意思がハッキリし、自分なりに頭を使って遊ぶようになった。一度気に入るとのめりこみが激しいのは母親似?
最近はキティちゃんにご執心。「イヤイヤ」することも多くなり、これが俗に言う「2歳の反抗期」かな。よく食べて、遊んで寝て。おおらかに育っていると思う。
妻 ……。
夫 平成19年7月28日
2歳7ヶ月から保育園に入り、それが本人にとっても良い刺激となっているようです。何でも一人でやりたがるようになり、言葉も増え、お友だちとも毎日楽しそうに遊んでいます。
妻 ……。
夫 ……ここからはオレの字だな……。
妻 ……。
夫 必死に母親になろうとしてたんじゃないか。
妻 だから、辛いのよ。
夫 そうか……。
妻 さっきね、辛くてきつくて、わけわからなくなって、あゆみの首しめたとき、 あゆみ、あたしの顔みて嬉しそうに笑うのね。こんなことしているわたしなのに、あの子、嬉しそうに笑うのね。そう思ったら、力が入らなくなってね。でもあの子、ママ、ママって嬉しそうに笑っててさあ……あたし、この子のこと 本当に好きなんだ、本当に愛しているんだとわかってね。その時、あたしには 勝てないと思った。あたしには無理だと思った……。
パパはつかさんから言われて書いたこの芝居のタイトルを『恋文』としました。そして、このシーンのタイトルを、『母から娘への恋文』と書きました。
このシーンは本当にママの書いた母子手帳を見ながら書きました。
遥花、ちゃんとしっかりとママの言葉をうけとめてください。ママは立派におまえを育ててくれていたんですよ。
これがママの母性でした。
そして、その母性を抱えたまま、いまでもママはおまえのことを思いひとりで暮しています。
だからいま、おまえがニコニコとママに会いにいくことがなにより、ママにとっての幸せなのかもしれません。
家族のありかた、幸せのあり方にはいろいろな形があります。
ただうちはこの形を選んだのです。そしてこの形をいまは誇りに思います。
この作品は、つかさんが最後にパパに書かせた、つかさんから、パパに対する『恋文』だと思っています。
それから1年半ほど経った後、パパはつかさんが、肺がんにかかっていることを、テレビの報道で知ったのです。