昨日はうちに7、8人トモダチを呼んだようです。
まあ、狭い家だというのに、そんなに・・・・。
しかし、確実に着実にトモダチを増やして遊んでいるようです。
1年生の時も、2年生の時も、「ともだちができますように」と
書かれた短冊が飾られました。
今年はなんと飾るやら。
【スカブラ】
いまから4年ほど前のことです。
テレビの業界も経費削減のが叫ばれ、そのあおりをうけて、ママも、パパと同じ職場での仕事がなくなることがわかりました。
そのころからです。ママは少しずつおかしくなっていきました。
毎日、家に閉じこもり、寝込んだりするようになりました。
好きな人ができていったん別居してたものの、その人と別れたということで、再びパパたちと暮らし始め、3ヶ月ほど経ったときのことでした。
まさにその症状は、鬱でした。
ネットで知り合った友達たちと情報を交換し合い、ママは病院に通い、薬をもらってきました。ちょうど、鬱病という言葉がかなり大きくマスコミでも取り上げられるようになって、病院によっては、薬漬けにされてしまうことが問題視されていました。
ママも安定剤、抗鬱剤、睡眠剤などを大量に処方されました。
ある日、パパが仕事で遅くなって家に帰ると、まだ3歳のおまえが裸になって、玄関まで出てきました。
「どうしたの?」
奥の部屋をのぞくと、ママは寝ていました。
どうやら、お風呂に入ろうと声をかけたまではよかったのですが、その前に飲んだ薬が急に効き始めたようで、眠りについてしまったのです。
おまえはそんなことなどわかるはずもなく、お風呂に入れるものだと思って裸になって、パパの帰りを一時間ほど待っていたらしいのです。
これは、この環境では、どうにもならないし、娘のためにも、こんな母親の姿を見せておくのはよくないと、ママの親がママを連れて帰りました。
再び別居生活が始まりました。
そんな生活も2週間ほど経った頃、正式に離婚の話し合いが始まりました。
両方の親を交えての話し合い。パパもママもほかのみんなも離婚はもう仕方ないという結論に達しました。
問題は、おまえのことでした。
パパは絶対におまえの手を放したくない。
ママもおまえの手を放したくないと主張しました。
それはそうです。ママのお腹の中で命を育んだ娘です。
その手を放したくない、離れたくないという思いは、ママだって果てしなく大きかったと思います。
パパもママもおまえのことを愛していました。
だから、その手を放さないために必死になっていたのです。
それはそれは本当に苦しい話し合いでした。どこまでいっても平行線の、本当に長い苦しい、誰も気持ちのいいことひとつない話し合いでした。
ちょうどその頃、パパとママの出来事を面白がったつかさんは、毎晩のようにパパに電話をかけてきていました。
「おう、どうなった? いま、役者と飲んでるんだけど、ちょっとかわるな」
と次々といろいろな役者にかわられたり、また、飲みに誘われたり。挙句には、
「しかしそこまでになったら、おまえがカミさんといまやっていること全てを芝居にしろ。その問題は日本の問題だからなあ」
といわれ、次の日には、つかさんは、北区の劇団で公演日程とキャストを決めて、これでやってくれと電話してきました。
相変わらずつかさんに対して「ノー」の言えないパパは、言われるままに、自分の身の回りの出来事を芝居に書く決心をしました。
パパとママが別居をしたこと、なぜそうなったのか、ママはそのときなにを思っていたのか、作品を通して見つめてごらんとつかさんは言いました。
つかさんはその芝居の進行具合が気になるらしく、稽古期間中も、しょっちゅう電話をかけてきて、どうなったどうなったと聞いてきました。稽古もそうですが、なにより、現在進行形で進んでいるパパたちの離婚がどうなったのか知りたくて仕方なかったのです。
「いやあ、親権のことがあってなかなか」と、日本での男親が親権を得られる可能性の薄いことを話しました。
「おまえ、つまりよお、カミさんが男と浮気して出ていった場合でも、子どもはとられるわ、養育費は払い続けなければならないわ、金も子もとられるわけだろう。そりゃおかしいわなあ。犯罪もおこるぜ」
と、真剣に怒ってくれました。
つかさんはとにかくこの離婚騒動の間、常に明るく接してくれました。パパが予想できないような様々なやり方で。携帯電話の全てのアドレスにメールを送ったことも、芝居を作らせたことも、全部、暗い顔をさせないように、いつも笑いが起こるように、接してくれました。
「だってよお、おまえ、オレが無茶苦茶やらねえとよお、おまえ自殺するしかねえだろう」
そういって笑い話にしながらお酒を飲んだこともありました。
そのときパパはお腹の底から笑って、笑いながら、先のことを考えて丸まってばかりだった背中を伸ばし、希望を持ったものでした。
そんなつかさんはいつも『スカブラ』でした。『スカブラ』……。
これはつかさんの小説にも出てくる話なのですが、昔、炭鉱で作業をするときに、たとえば10人で入って作業するところを、11人入るというところがあったそうです。この員数外の一人が『スカブラ』というのです。終業時間になって、炭鉱から出てくるとき、みんな真っ黒な顔をしているのに、この員数外の一人だけは、きれいな顔をして出てくるのです。
彼の仕事は、みんなが仕事をしている間、近所の噂話やら、下のゲスな話などをえんえんと面白おかしくしているだけ。そんな人間、会社にとっては無駄だろうと思うのですが、この人がいなくなると、作業効率がテキメンに落ちていく。その員数外の一人、無用の長物、それこそが『スカブラ』というのだそうです。
つかさんは芝居を志すものこそ、この『スカブラ』でなくてはいけないと言っていました。パパたちの離婚のときも、常につかさんは『スカブラ』であり続けてくれたのです。
遥花、パパはおまえにとってそんな存在になれていますか。おまえにとっての『スカブラ』に。