はるかへ
最近いようにあなたはいい子です。
帰ってきたら宿題をすぐやるし、いえばすなおにきいてくれるし。
それは単純に、いい子にしていれば、ゲームができるという。
やることを全部終えればゲームができると。
うーん、玉子が先かにわとりが先かの気持ですが、まあ、やることやってんだからいいか。ほめてあげるか。
【東京の事務所】
あるときつかさんは大人向けの小説の依頼をうけました。
「オレはこの作品、純愛エロ小説を書きたいんだ! 谷崎潤一郎だってありゃエロ小説なのに純文学だろう。渡辺淳一の小説なんてアサヒ芸能で出したらポルノって言われるのに、日経新聞で連載しているから純文学だぞ。オレは純文学を書くんだ!」
とパパに豪語していました。
執筆補助としてつかさんの原稿に、卑猥な描写を加えてくれと言われて、毎朝、駅売りのスポーツ新聞を買い込み、その部分を研究し、描写を書いていきました。
それをファックスで東京の事務所に送り、つかさんが読んで、添削していく。もっと過激に、もっとインパクトをつけてとつかさんが要求する日々が1週間も2週間も繰り返されました。
もちろん寝ているひまもなく、その描写に取り組みました。
しかしつかさんからの連絡がある日から突然途絶えました。
どうしたんだろう、気に入ってもらえなかったんだろうか、さらに描写を深めんと、それ相応の雑誌にまで手を伸ばして、必死にがんばって、ファックスを送り続けました。
そんなある日の夜、東京の事務員から電話がありました。事務員は、その日のお昼にあった話を切り出しました。つかさんがやってきて、
「いやあ、オレは純文学を書きたいのによお、大分であいつが一生懸命書いてくるからよお。あいつはこういうのが好きで、こればっかり書いてくるんだよ」
とえんえんとパパが調べ、努力してきた、その描写を読み上げたそうです。
「しかし使えないんだなあ」
と、うれしそうに笑いながら、原稿にバツをいれていったそうです。
つかさん、僕は好きで書いていたんじゃないんです……。
つかさんが書こうといって、リサーチ程度の原稿を下書きし、それを見てつかさんが発想をめぐらせて、つかさんの物語を書いていくというやり方を何度かさせてもらったことがあります。ボツになった企画は数知れず。また、パパを鍛えるため、原稿用紙100枚ほど書いたものを、全てバツをつけていって、たった一言にマルをつけ、ここを伸ばしてごらんと言ったこともありました。
つかさんの執筆を補助させてもらうことは、自分自身の力を常にためされている場でもありました。いつもダメだといわれ、バツをつけられ、つかさんに添削してもらっていました。卑猥な描写も、哲学的な言葉も、面白がりながら、多くのことを語りすぎずに、大切な言葉だけを残していくという、根本的なことを教えてもらいました。
あのときバツになった言葉は本当に大切な言葉になれば残っていたはずなんです。あの東京の事務所で笑いものにされた言葉も……、といまは振り返れますが、当時は顔から火が出るほどの恥ずかしさと、つかさん待ってくださいよという思いばかりが先行していました。
つかさんは全身全霊で、文章ひとつ書くことさえも教えてくれていたのだと思います。
弟子などとはとてもいえないほどダメなパパでしたが、ひとつひとつ手取り足取り教えてくれました。
演劇も、本も、生き方も。
まさに親のように全てを教えてくれたのです。
失われたかもしれない母性を持って、子どもを育てるように……。