餓死って | いつか大きくなるあなたへ           ~シングルファーザー奮闘中~

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いろいろな社会のニュースは見るにたえないことが多いです。

餓死で亡くなったという話を見ました。

そこにいたるまで、どんな生活があったのかもしれません。また頼れなかった理由もいっぱいいっぱいあったのでしょう。

でも餓死って・・・。

昔つかと一緒に取材をしたときに、佐賀の自分の子供たちを殺したお母さんが、最後に子供たちに食べさせた料理が、肉まんだったというのがありました。

つかは、このとき、最後の晩餐くらい、せめてその子が好きだったハンバーグでもカレーライスでも食べさせてあげて・・・と思ったことを綴っていました。

食べること、人間これができればたいていのことは乗り越えられると思います。

しかし最近あなたは食べすぎでお腹がぽっこり出ているのですが・・・・。





(人は人と摩擦しながら生きている③)



 大げさな言い方でいえば、パパの人生は、この「先生」を追い続けてきた人生でもありました。

 「先生」……。

 パパの先生は「つかこうへい」という人です。

 本当の名前は「金峰雄」と言います。

 名前を見ればわかると思いますが、つかさんの国籍は韓国です。いずれおまえもその言葉をよく耳にすることになると思いますが、つかさんは、「在日韓国人」です。

 お芝居を作る、劇作家・演出家という仕事をしていました。

 していましたというのは、おまえが言うとおり、先生はもうこの世にいないからです。

 パパは、つかさんのもとで、お芝居の演出や製作、つかさんの書く小説や台本などの執筆補助という仕事をしながら、つかさんにいろんなことを教えてもらっていました。

 「つかこうへい」という平仮名だらけのこの名前の由来にはいろいろな説があります。

 つかさん自身は、韓国から日本にやってきて、子どもたちを育てるのに精一杯でちゃんと日本語の勉強をする時間をもてなかったお母さんがわかるように、漢字は使わない平仮名だけの名前をつけたかったと言っていました。

 つかさんが小学生の頃、お母さんが小学校に通って字を習いたいと言い出したといいます。そのときつかさんは「恥ずかしいからやめてくれ」といい、お母さんはあきらめたのです。そのことをつかさんは、ずっと申し訳なく思っていたそうです。そのこともあって、平仮名だけの名前にこだわったといいます。

「あたしが漢字が読めたらおまえの本も読めるのにねえ」

 と言われたこともあったそうです。

つかさんは生涯かけて、「恥ずかしいから学校にこないでくれ」と字を覚える機会をお母さんから奪った自分を戒め、お母さんへの生涯の償いのために、平仮名の名前を背負ったのだといいます。

 1985年に発売された雑誌では、つかさんのこの名前を、

「いつかこうへい」

 と解釈し、在日韓国人であるつかさん自身が「いつか、公平」な世の中を願ってつけたのではないかという論が載っていました。

 つかさんはこの解釈を「あれは評論家の言ったことだから」といなしていましたが、本当のところはどうだったのか、いまや誰も知ることができません。もしかしたらそんな気持ちも若いときはあったのかもしれません。 パパがつかさんからその名前の由来を聞いたのは、もう15年ほど前のことです。

 ちょうど、小説『飛龍伝』を文庫本にするので、つかさん自身があとがきを書くから手伝ってくれといわれたときのことでした。

 1960年代、70年代、日本には学生運動といって、この日本の政治が間違っていると感じた大学生たちが、自分たちの力で、世の中をかえていこうと、ときには暴力的な行動を起こして、国と戦っていた時代がありました。

 その頃を舞台に、学生運動のリーダーになった女性と、その学生運動を鎮めようと、暴力で弾圧を繰り広げる機動隊という警察側の男性との、決して結ばれてはいけない二人が結ばれてしまう『愛』を描いた作品が『飛龍伝』です。

つまり、学生運動を舞台に、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を描いた作品でした。

 もともとはお芝居として作られましたが、それを自ら小説化し、出版され、文庫化されるときに、あとがきで、つかさんは、実は、自分の名前の由来は、この学生運動華やかなりしころに出会った、一冊の本にあるのだと書いたのです。

 『青春の墓標』というその本は、学生運動のときに、極端で過激な左翼思想を持ち、世の中をかえるには実力行使だと、暴力的な行動もいとわない思想をもつ中核派の闘士として思想をつらぬいた奥浩平という青年の手記です。

 奥さんは、中核派と思想異なる革マル派に属する、女性に恋をします。

 中核派と革マル派は、まったく相容れない思想で、互いが互いを中傷しあい、ときには殺し合いにまで発展するような、いざこざが起こるほどの対立がありました。

二人が思いを通わせることは、それこそ「ロミオとジュリエット」だったのです。

 奥さんは必死に彼女に思想をかえて、一緒に、明日を築き上げていきましょうと語りますが、彼女の信念はかわりませんでした。

 そして、彼女への思い果たせず、奥さんは自ら命を絶つのです。

 本にはその奥さんの日記や、思想論文などが載せられています。

 パパは、あとがきを書くつかさんの補助をしている中で、この本を見つけました。

そして、つかさんに、この本をあとがきのネタにいれたらどうでしょうかと、持っていったのです。

 するとつかさんは「おまえよく、この本にいきついたなあ」といって驚いた顔をむけました。

 実は、自分の「つかこうへい」という名前は、この「奥浩平(おくこうへい)」をもじってつけた名前なんだよと教えてくれました。

 思えばつかさんの作品の根底には、確かにあの本に描かれていた、大きな世界の流れと、小さな愛への葛藤、そして愛ゆえに苦しんでいく、青年時代独特の切ない思いが描かれ続けてきました。それは最後まで一貫した、つか作品のテーマだったのだと思います。