自分の意思を持って山に登ったのは、社会人になってからだな。

それ以降、社会人のアウトドアサークルを主宰するようになり、25年ほど山登りは続けている。

しかしながら私自身は、山岳会に入ったことはないし、山の師匠がいたわけでもなく、多くのことは本や雑誌から学んだ。

なかでも、遭難に関する本からは、どうして遭難に至ったのかと言った検証がなされており、勉強になることも多い。

 

今回読んだ『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』(羽根田治/山と渓谷社)では、他の書籍でも書かれている遭難事故の事例も多く、知っていた事故もあるが、改めて読んでみると、やはり山のコワさを感じる。

 

十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕

山のコワさを知ると、とても人を山に連れて行くなんてことはできないと感じるが、それでも行ってしまうのは、やはりそのコワさ以上に、山の素晴らしさ、見たことがないであろう景色を見てもらいたいと思う気持ちがあるからであろう。

 

それでもやはり、山には『連れて行ってもらう』と言う気持ちではなく、『一緒に行ってもらう』と言う考えでなければいけないと思う。

そのためには、ルートの下調べ、必要十分な装備等の事前準備を自分の意思を持って用意せねばならないだろう。

 

『あのタイミングで、引き返していれば…』

『もう少ししっかりした装備があれば…』

『非常食さえあれば…』

遭難に至るまでには、予兆がある。誰もが、遭難しようと思って遭難しているわけではない。

 

『今日は晴れているし、低山の日帰りハイキングだから…』

雨具はなくても良いかな?

ヘッドランプも要らないだろう!

防寒具も、非常食も要らないな…!

そんなことになっていないだろうか?

 

山に行くのに、『遭難は他人事ではない』と言うことに、まず気づくことが大事ではないだろうか!